This room is for the exhibision of British civil aircrafts during the wars.
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Westland Wessex airliner / 1929

航空メーカーとして新興のウェストランド社の最も初期の作品。当時流行の三発形式ですが構造は保守的で、何よりも乗客収容能力がわずか4名ということではコスト的にも不利となり、英国内でわずかに使われただけで成功作とは言えませんでした。その後の同社は、ウォーラス、ライサンダーなどの比較的有名な機体を送り出したものの、その後は開発の失敗が続き、第二次大戦後ヘリコプターのライセンス生産を経てまもなく航空産業から撤退します。奇しくもそのヘリコプターの名前は本機と同じウエセックスでした。[Rug Rat Resins / resin]


DeHavilland DH90 Dragonfly / 1936

大当たりしたDragon Rapide中距離旅客機を一回りコンパクトにして、近距離航空路線と、より豪華なプライベートプレーンの市場を狙った機体です。トンボの名前にふさわしい先端が細くなった二枚の翼はDoragon Rapideと同じですが、本機には後退角がついており失速特性の向上に役立ったものと思われます。当時のアフリカ植民地、現在のマラウィとジンバブエで運航していたRohdesia & Nyasaland Airlineの機体に仕上げました。[Rug Rat Resins / resin]


DeHavilland DH89 Dragon Rapide "Prince of Wales" / 1935

1930年代の英国民間航空を代表する機体のひとつです。大ヒット作となった単葉のモスシリーズに続いて双発の中距離旅客機として企画されたドラゴンシリーズの出世頭で、世界中で愛用されました。英国王室でも専用機として活躍しましたが、この機体は後に米国女性との結婚が認められず王位を返上したことで有名なエドワード8世が、皇太子時代に使用していたもので、垂直尾翼に小さく英国の皇太子であるPrince of Walesのエンブレムが描かれています。[Heller]


Handley Page W8b airliner / 1921

英国初の戦略爆撃機を開発して、巨人機を得意とする航空機メーカーに成長したHandley Page社が、第一次大戦の終了直後に発表した大型旅客機です。本機は最初から民間機として開発されたため、客室は広く、世界で初めてキャビン内に化粧室が設置されました。英国のインペリアル航空で多くの欧州路線に就航した他、ベルギーのSABENA航空でも使用されています。本機の生涯は意外にも長く、三発型を含む様々な民間型が作られた他、英空軍にもハイナイディ、ハイデラバッドという爆撃機、軍用輸送機として納入され、旅客機として最後に引退したのは1931年のことでした。無骨ながらも堅牢な、いかにも英国人の作った飛行機という気がします。[Contrail / Vacuform conv.]


Blackburn Pellet / 1923

水上機レーサーによる世界的なスピードレース、Scheneider Cupに出場した高速飛行艇です。1923年のレースは英国で開催されたことで、地元英国はスーパーマリン社のシーライオンとブラックバーン社の本機ペレットがエントリー。空気力学的に極めて洗練されたスタイルを持つペレットへの英国民の期待は大きかったのですが、レース前日のエンジントラブルであえなくリタイア。本番のレースでは米国のカーチスCRがワンツーフィニッシュの快挙を遂げ、英国はシーライオンが3位に食い込み、かろうじて開催国の面目を保ったのでした。そのような訳で本機ペレットは幻のレーサーとしてその生涯を終えたのですが、模型にしてみると、改めてそのフォルムの先進的な美しさを感じることができます。[Karaya /resin]


DeHavilland DH9 civil / 1926

第一次大戦末期にDH4型軽爆の改良型として大量に生産された本機は、英空軍での就役を終えた後、大量に民間に払い下げられました。こうした機体の多くは、後部胴体に密閉キャビンを取り付け、2−3名の乗客を乗せて英国国内での地方路線で近距離旅客機として活躍します。古いモノを大切に使う英国人気質もあってか、今回作成したNorthern Airlinesの使用機は、1930年代になってもまだ現役として使用されていたようです。[Airfix + Blue Rider]


Sopwith "Atlantic"/ 1919

第一次大戦の終結後、大西洋無着陸横断飛行にトライした英国の二人組、ケネス・マッケンジー・グリーヴスとハリー・ホーカーが、使用した機体です。全体的にいかにも英国的なオーソドックスなデザインですが、飛行中の操縦士と航法士のスムーズな意思疎通を可能とする並列の座席配置。コックピットの前方の巨大な燃料タンク配置により、操縦席から機種エンジンまでの距離はかなりあります。また、特筆すべきは大西洋への不時着を考慮して、胴体後半上部をとりはずすと救命ボートに早変わりするというアイデア。このため胴体の側面形が妙に太い四角形をしています。少しでも機体を軽くするため、塗装は方向舵の三色を除いて一切なしで、素材のまま。極めて地味な印象です。
彼らは1919年5月18日にニューファウンドランドを離陸し、アイルランドを目指しましたが、行程の6割を達成したところで不運にもエンジンがオーバーヒート。無着陸横断の成功はもはや無理、と悟った二人は、賢明にも大西洋航路の船に遭遇する可能性にかけ、南への変針を決意。デンマークの汽船を発見し、不時着水して無事に救助されました。
同じ英国人アルコック・ブラウン組による、同じ航路を通っての大西洋無着陸横断成功のわずか1か月前の出来事です。
[Scrach built]


DeHavilland DH60 "British Arctic Air Route Expedition"/ 1930

当時デンマーク領であった未開の極地グリーンランドを正確に測量し、将来必要となるアメリカと欧州を結ぶ極地航空ルートの開発を目的とした調査に使われた機材です。使いやすく信頼性の高かったDH60モスを寒冷地に対応するため密閉キャビンとしフロートを履かせた機体は、1930−31年にかけてグリーンランドでの詳細な調査を行い、英国に多大な情報を持ち帰りました。[A Models]


Sopwith Scooter / 1926

第一次大戦で名機キャメルの大成功に気を良くしたSopwith社が、キャメルの性能向上型として開発した単葉戦闘機です。胴体はキャメルのものをそのまま流用し、当時最新のスタイルであったパラソル翼を採用。しかし期待ほどの性能向上は認められず、あえなく一機が完成したのみで、英空軍からは不採用となりました。その後、同社のテストパイロットであったハリー・ホーカーが競争機として使用しましたが、キャメルの名声の陰でその存在さえほとんど知られずに消えていった機体です。[KP Models]


Handley Page 0/400 airliner /1919

第一次大戦中に敵国ドイツのツエッペリン飛行船やゴータ重爆のロンドン空襲で大いに苦渋を舐めた英国が、満を持して開発した、当時としては超大型の元祖戦略爆撃機。実戦配備はドイツの敗北が見えてきた1918年のことだったので、それほどの威力を発揮することもなく終戦を迎えました。平和が戻ってきたため、16の乗客座席を持つ旅客機に改造され、ヴェルサイユ講和条約の交渉に向かう政府要人をロンドンからパリまで、せっせと運びました。[Airfix conv.]


British Aircraft Eagle2 /1936

元々はドイツのKlemm航空機製造社の英国法人であったBritish Aircraft社が、軽馬力のプライベートプレーンとして開発した機体です。密閉のコックピットに乗員3名、引っ込み脚を備えた先進的な機体として、かなりの人気を集め、英空軍も連絡機として7機を所有しました。
作成した登録記号G-ADYYは、米国ロッキード社の英国支配人であったHenry Whiteの所有機で、1936年に家族を乗せてスペイン経由北アフリカへの旅行に使われたものです。
[Dekno Models / resin.]


Fairey IIIF McRobertoson Racer / 1934

1934年に開催された英国からオーストラリアへの空の長距離レース, スポンサーであるオーストラリアのチョコレート王、マクロバートソンの名前を冠したこのレースは、デハビランド社の高速機DH88 Cometが、その名の通り彗星のようなデビューを見事な優勝で飾ったことで有名です。その華やかな成功の陰で、場違いともいえる旧式機も参加していました。それが本機Fairey IIIFです。この機体はFairey社が英空軍および英海軍航空隊のために設計した一連のIII型シリーズの最終発展型で、その使いやすさや、奇をてらうことの無いオーソドックスな設計が好まれ、幅広く使われたのですが、さすがにこのレースに参加するには年を取り過ぎていました。それでも途中の重なるアクシデントを乗り越え、何と34日をかけて目的地メルボルンに到着。いかにも英国人の作った機械らしいエピソードを航空史に残したのです。[Sanger / vacuform.]


DeHavilland DH10 "Amians" civil /1920

本機は第一次大戦中に開発された英国の爆撃機で、多くの犠牲者を出した激戦地、アミアンの名前が与えられたように、対ドイツへの復讐を誓う英国民の機体を担って登場したのです。しかしデビュー後まもなく大戦は終結し、この機体は活躍の場を失うところでした。そうした状況の中で、この大型機の搭載能力を生かして郵便運搬事業の機材として活用するアイデアが浮上。今回、こうした英国内の郵便サービスに使用するための民間登録コードをまとった機体を再現してみました。実機は事業に投入後ほどなくして事故のためにあえなく失われましたが、この機体も英国航空史の中では忘れられない役割を果たしたのです。[Eastern Star / vacuform.]


Bristol 72 racer /1923

第一次世界大戦が終わってまもなく、英国は画期的な大馬力航空エンジン、ジュピターの開発に成功しました。この空冷星形エンジンは、従来の二倍を超える450馬力という飛躍的な出力を可能にしたエンジンでしたが、搭載すべき航空機の設計技術が間に合わず、戦時中から高速単葉機として有名だったブリストル機を再設計して使用することとなりました。結果はご覧の通り、大口径のジュピターを収めるために胴体は異様に膨らみ、主翼は短くなり、見るからに危険な機体が出来上がったのです。[Avis.]


 Bristol 77 M1D / 1922

保守的な英国の軍幹部の見解により、危険すぎるとしてほとんど活躍の場を与えられなかった幻の戦闘機が、ブリストル単葉機です。この不遇の戦闘機は、戦争が終わると、その高速が評価されレーサーとして注目を浴びました。時ならず開発された新エンジン、ルシファーを試験的に搭載されたのが本機です。いくつかのレースに参加したものの、期待されたほどの成績は納められず、その生涯をひっそりと終えました。[Avis.]


Supermarine S5 / 1927

ヴェネツィアで開催された1927年シュナイダートロフィカップの優勝機、その後の英国3連覇の先鋒となったミッチェル技師の会心作がこのS5型です。前年のレースで途中リタイアし苦杯を舐めた全木製の野心作S4型から全面的に設計をやり直し、結果として前年の覇者イタリアのM39によく似たスタイルのマシンとなりました。地元イタリアはM39を一回り大きくパワーアップしたM52を3機揃えてで自信満々レースに臨みましたが、結果は1000馬力級エンジンの不調で全機リタイア。このS5に名を成さしめることとなります。[Pavra conv.]


Supermarine S6 / 1929

舞台を英国に移して行われた1929年のシュナイダー杯で英国を連覇に導いたモンスターマシンがS6型です。前々年に優勝したS5型の2倍以上となる1900馬力のロールスロイスエンジンを搭載。ほぼ同馬力エンジンを積んでタイトル奪回を目論んだイタリアのM67を圧倒するパフォーマンスで、時速529キロ/時をマークして優勝しました。この結果は英国のエンジン開発が明らかにイタリアを凌駕しつつあったことを裏付けるもので、2年後の最後となったシュナイダー杯でS6の改造型S6Bが英国に3連覇をもたらす主因と考えられます。[Airfix conv.]


DeHavilland DH4 Instone Airline / 1921

いかにも英国的な四角四面のフォルムをもつ本機は、第一次大戦で高速の軽爆として生産されましたが、終戦により大量の余剰機が民間に出回ることとなりました。米国ではあのリンドバーグも使用した郵便機としての活躍が有名です。英国では後部座席から後ろを密閉式のキャビンに改造し旅客サービスに使われています。戦後まもなくロンドンを基点として運航を開始したインストーン航空が使用した機体を実機同様にに改造して作ってみました。 [Airfix conv.>


SE5a "The skywriter" / 1928

第一次大戦の英国主力戦闘機だったSE5aですが、戦後10年以上過ぎてもまだ民間で活躍していたという驚きの事例がこの機体。排気管から白煙を排出して大空に広告宣伝の文字を描くことを目的に改造されたもので、尾部まで延長された長い排気管と、その排気管が邪魔にならないように上下に分割された方向舵に注目。本機は1934年まで使用されたとのことで、さすがに英国人は物持ちの良い国民だ、と改めて認識させられます。 [Revell]


Vickers Vimy G-EAOU / 1919

史上初の大西洋無着陸横断という輝かしい栄誉を持つヴィッカース・ヴィミーの、もう一つの大飛行。それは1919年の大西洋横断から約半年後、濃緑色に塗られた別の機体が成し遂げた、英国から豪州への飛行です。本国英国からは地の果てとでもいうべき地球の裏側の豪州へ。当時としては破天荒とも言える冒険を、本機は見事に成し遂げました。想像を絶する困難さに立ち向かう乗組員達の気持ち、"God (h)Elps All Of Us. (神は我ら全てを救い給う)" 。この言葉のそれぞれの単語の頭文字から取られた登録コードG−EAOUを全身に纏い、本機は今も豪州のアデレード空港に静かに翼を休めています。 [Frog]


Supermarine Sealion III / 1923

1923年のシュナイダーカップレースに出場した英国の飛行艇レーサーです。前年のレースで見事に優勝した機体Sealion IIをリファインして、エンジンのパワーアップを図り、III型として登場した本機ですが、残念ながら連覇を達成することはできず、3着に終わりました。この年は米国のカーチス水上機がワンツーフィニッシュ。以降レーサー機としては大型過ぎる飛行艇タイプは、優勝が難しい時代となります。しかしモデルとして眺めるなら、艇体の優雅な曲線美はフロート付水上機よりも圧倒的に上だと思います。1920年代の前半に、これだけの美しいフォルムを実現したのは、あのレジナルド・ミッチェル技師。不朽の名機スピットファイアの設計者だと聞けば、なるほど納得です。 [Karaya / resin]


DeHavillandDH83Foxmoth /1934

1930年代の英国は、民間航空路線が急激に発達し、多くの旅客機が開発されましたが、折からの世界恐慌の影響から、安価で手軽な軽旅客機が市場ニーズとなっていました。本機はDeHavilland社の大ヒットとなったタイガーモスの部品を極力流用し、それでもキャビン内に4名の乗客を収容できるローコスト旅客機です。 [Aeroclub vacuum + Airfix]


DeHavilland DH82 Tigermoth / 1934

誕生から80年を経て、今なお英国人のこよなく愛するノスタルジックな機体。名機タイガーモスです。ヒットした一連のモス・シリーズの集大成として完成した本機は、ほどよく後退した主翼、すっきりと細身の胴体、トレードマークの木の葉をイメージさせる垂直尾翼など、個々のパーツの美しさがバランス良く配置され、少しの違和感もなく全体を調和させています。英国の一般大衆に空を飛ぶことの喜びを与えたこの機体は、現在でも世界中で大切に保存され、フライアブルな機体もかなり残っているようです。 [Airfix]


Westland Widgeon / 1927

1930年代の英国ではすでに航空機を個人的な趣味とする階層が育ちつつありました。一般民間人が当たり前のように飛行機を所有し、操縦を楽しむ時代。そうした時代の萌芽に合わせて、老舗のWestland社が開発した可愛らしい軽飛行機がこの機体です。Widgeonという名前をもらいましたが、これは英国の田舎ならどこにでも見かけることのできるヒドリガモという野生の鴨のこと。残念ながらこの鴨はデヴューのすぐ後に発売されたDeHavillandのモス(蛾)シリーズに圧倒的な差をつけられ、ごく少数しか生産されませんでした。 [Airframe /vacuformed]


DeHavilland DH88 Comet "Black Magic"/ 1934

1934年に開催された、マックロバートソン競技会に参加した機体。このレースは英国本国からオーストラリアまで飛ぶという世界でも類を見ない長距離レースでした。このレースには同型機のコメットが3機参加。優勝した紅の"Grosvenor House"号は最も有名で、現在も飛行可能な状態で英国に保存されています。今回作ったのは、大西洋単独横断で有名な"空飛ぶスコットランド人"、ジム・モリソンの操縦でレースに参加した、黒づくめの"Black Magic"号です。 [Airfix]


Miles Falcon/ 1935

新興の航空機メーカーMiles社のヒット作。クリーンな低翼単葉で固定脚を特徴のあるスパッツで包み込んだ近代的なフォルムです。1935年の英国におけるキングスカップで優勝して、一躍有名になりました。Miles社はその後英国空軍のために、優秀な練習機をいくつか開発しましたが、その後設計した戦闘機がことごとく惨めな失敗。戦後まもなく会社はハンドレイページ社に買収されました。 [Dujin / resin]


Airspeed AS.5 Courier / 1934

英国の長距離飛行家アラン・コバム卿が、インドまでの冒険飛行のために発注したのが本機。当時としては最先端の技術である引っ込み脚を採用した先進的な設計が注目を浴びましたが、本来の用途には使用されず、乗客6人を乗せた短距離旅客機として活躍しました。エアスピード社は、本機が注目されたのに続いて、双発のエンボイを後継機として開発し、さらなる成功を収めますが、その発展型練習機オックスフォードを英国空軍に採用された以降は、目立った成功作はなく、戦後間もなく消滅します。 [Rug Rut Resin / resin]


Percival P6 "Mew Gull" / 1938

実機が小型なので1/72スケールとは信じられないくらいに小さいのがこの時代のレーサー機の特徴ですが、この英国製のレーサーも、よく大柄なアングロサクソンが乗り込めるもんだ、と不思議になるくらい小さな機体です。一連のGullシリーズで一世を風靡したPercival社が送り出したおそらく最後となる名機。1938年のKings Cup Raceでは、3機出場した本機が1,2,6位に入るという輝かしい記録を打ち立てました。小馬力エンジンなのに、最高速度は時速425キロを誇る切れ者です。 [DEKNO Models / resin]


Short Mayo Composite / 1938

1930年代は、大西洋を越えた民間旅客輸送をいかに商業的に実現するかを、各国が競った時代でもありました。この分野で一歩リードしていたはずのフランスは、大型飛行艇の開発にもたつき他国の肉薄を許します。ドイツは巨大飛行艇ドルニエDOXの開発で一気にその差を縮めようとしますが、そのあまりにも巨大な身体を支えるにはエンジン馬力が不足して試験飛行に失敗。イタリアは端からエンジン開発そのものが出来ずに挫折となりました。
英国は大きな期待を背負ったショートS23エンパイア型飛行艇が、大西洋ルートにはわずかに能力が足りないことが判明。そこで産み出されたのが、この前代未聞の親子飛行機です。小型の水上機S20 Mercuryを背負った母機飛行艇S21 Maiaが大西洋上を途中ルートまで飛行し、そこからS20を発進させ目的地に到達する構想で、試験飛行は見事に成功しました。しかしさすがにこの方式を商業ベースに乗せることは無理で、このプロジェクトはこれ以上進展しませんでした。
[Historic Wings / vacuform]


Gloster III A / 1925

フロートを着けた水上機が地球上で一番早い乗り物だった時代、そのスピードを競う国別対抗レースとして参加国の熱狂的な注目を集めたのが、シュナイダートロフィーカップです。同レースでの英国機と言えばまず第一にスーパーマリンS6Bが挙げられますが、このGloster社のマシンも1925年の米国バルチモアで、ドゥリトル操縦のカーチスの後塵を拝したとはいえ、2位に食い込むという立派な成績を修めています。思い切って切り詰めた翼と、頭でっかちのネイピア・ライオンエンジン、それに下翼前縁に装着された巨大なラジエーターと、特徴だらけの印象的なマシンです。 [Karaya / resin]


Short Crusader / 1927

飛行艇や大型爆撃機など巨人機の製作に強みを発揮したショート社が、意外にもシュナイダートロフィーカップ用の水上レーサーを開発していたとは知りませんでした。野心的な大馬力エンジンを搭載し1927年のレースに参加したものの無念のリタイア。同朋のスーパーマリンに名を成さしめる引き立て役の立場しか演じられませんでしたが、そのスタイリングは結構美しく、特徴的なエンジンカバリングとともに、なかなかインパクトのある機体です。ショート社はこの失敗に懲りてか、不得手なレーサー機には金輪際手を出さず、ひたすら大型機専門メーカーの道を歩むことになります。 [Karaya / resin]


Short S8 Calcutta / 1928

大英帝国の翼"インペリアル・エアウェイズ"が、本国とインド植民地を結ぶ長大な商業航空路の内、地中海ルートを担当するためショート社に発注した大型飛行艇。当時の航空技術の粋を集めた、英国航空産業の精華とも言える機体で、主翼は相変わらず古色蒼然とした羽布張りですが、胴体は英国最初の全金属製モノコック構造。この飛行艇に搭乗して真っ青な地中海上空を飛翔する旅は、限りなく優雅なものだったに違いありません。 [Contrail / Vacuform]


De Havilland DH80A Puss Moth / 1932

航空士を乗せない単独飛行によるリンドバーグの快挙の後、逆コースでの大西洋単独横断を初めて成功させた"空飛ぶスコットランド人"ジム・モリソンの愛機が、このプスモスです。一見華奢な軽飛行機で、キャビンの前半分が巨大なガソリンタンクで占められている以外は、およそ大冒険に使われそうないかめしいスタイルではありません。1932年8月、アイルランドを飛び立ったモリソンは目的地NYには届かなかったものの、見事に大西洋を飛び越えカナダ東北部ペンフィールドリッジに到達しました。 [VAMI Models/ resin conv.]


Supermarine Sealion II / 1922

水上機による世界速度競技会として最高峰の権威と人気を誇ったシュナイダートロフィレースで、1922年に優勝を飾り英国の誇りとなった機体です。地元ナポリで開催される1922年大会で、平均時速234.5km/時で見事に勝利。1920,1921年に続く3連覇を目論むイタリアの野望を阻んだのでした。眺めてみればどう見てもレーサーらしくないスタイリングですが、艇体の流れるような曲線美は名機スピットファイアにつながるミッチェル技師の真骨頂。第一次大戦が終結してまだ4年しか経っていない頃とは思えないほど、旧さを感じさせないフォルムです。 [Karaya/ resin conv.]


DeHavilland DH66 Hercules / 1927

1920年代に登場した大英帝国の巨人旅客機トリオのひとつ。帝国の象徴とも言える本国からエジプトを経由してインドに至る最重要路線のサービスを担いました。剥き出しの3発エンジン。吹き曝しのコックピット。オーソドックスで少しも奇異な線のない複葉羽布張り構造と古めかしいスタイリングですが、そこはデハヴィランド社の手堅い設計により信頼の翼となったのです。ただし同社はその後、モスシリーズなどの小型機分野を得意として、1930年代には全木製のアルバトロスを除いて、大型機の開発にはあまり熱心ではなくなりました。大型旅客機の分野にデハヴィランド社が戻ってくるには、戦後のあの有名なコメットジェット旅客機を待たねばなりません。 [Rug Rat Resin/ resin]


percivalgull Percival Gull / 1932

大戦間の英国で、民間の軽飛行機熱高揚をリードしたデハビランドのモスシリーズに対抗して、新興のパーシバル社が開発した軽飛行機が、ガルシリーズです。密閉風防による居住性の向上と機体各部のクリーンな仕上げが評判を呼び、一躍ヒット作に。航続距離の長さも認められて、多くの冒険飛行にも使われました。中でもニュージーランドの2人組、バッテンとヤングが1935年に、ロンドンからリオデジャネイロまで飛んだのは、本機のハイライトでしょう。 [Dujin /resin]


s4Supermarine S4 /1925

水上機のスピードレースとして最も権威のある、シュナイダー・トロフィーレースの1925年大会に出場した、ミッチェル技師の野心作。単葉片持翼に木製モノコック胴体という革新的なスタイルで、レース前の下馬評は高かったのですが、本番前の飛行中、主翼の振動を起こして墜落。この年の優勝は地元米国のドゥーリトル操縦のカーチスにさらわれました。しかしこの苦い体験から、その後の大会で英国に3連覇をもたらす、S5,S6,S6Bのシリーズが誕生するのです。垂直尾翼のユニオンジャックがひときわ渋い美しい機体です。 [Vintage /resin]


Supermarine S6B /1931

あの名機スピットファイアの設計者として有名なミッチェル技師の出世作。シュナイダー・トロフィーレースで英国に3連覇の優勝をもたらした栄光の機体。前作S4,S5をベースに、当時としては化け物のようなロールスロイスV12エンジン2350馬力を搭載した 怪物マシンです。それでも、宿命のライバルマッキと比べれば、数段おとなしい印象なのは渋い英国趣味によるものでしょうか。 [Frog]



hp42Handrey Page HP42 / 1935

巨人機を得意とするハンドレーページ社が、大英帝国の広大な植民地を航空路で結ぶという壮大な夢の実現を請け負って、世に送り出したモンスター旅客機。複葉の上下翼に2基づつ計4発のエンジンを装着するという独創的な配置により、異様な印象を受けますが、性能そのものは極めて穏当なもので、その就役中、一度も人身事故がなかったという誇るべきレコードも持っています。 [Contrail /vacuform]


dh88DeHavilland DH88 Comet / 1934

英国の名門、デハビランドの作った全木製長距離競争機で、英国・豪州間の飛行大会マクロバートソンレース優勝により、一躍名機の仲間入り。二人乗りの操縦席が妙に 後ろに配置されていますが、その訳は?答えは、航続距離を増すために、操縦席から前方は、特大のガソリンタンクにスペースを占領されているからです。 [Airfix]



DH84DeHavilland DH84 Dragon / 1933

モス・シリーズの成功の印象が強いせいか、デハビランド社と聞くと、軽量小型機のイメージが付きまといますが、20年代の中頃には、DH66ヘラクレスという大型旅客機を作ったこともありました。本機は久しぶりに同社が開発した中距離旅客機で、2基の小馬力エンジンを搭載しながら航続距離が長く、それなりのヒット作になりました。モデルは、本機の特徴に眼を付けた有名な冒険飛行家夫妻、モリソンとその妻エミー・ジョンソンが、大西洋横断飛行に使用した特別仕様の機体です。 [RugRut /resin]


DH60DeHavilland DH60 Gipsy Moth / 1930

ロンドンの下町の魚屋の娘、エイミー・ジョンソンが英国・オーストラリア間の冒険飛行に使用した機体。この時代すでに英国では、一般庶民でもその気になれば、飛行機のパイロットになれた訳で、またそういう人達のために本機のような手軽な軽飛行機が開発されていたのです。それにしても、こんなきゃしゃな機体で大飛行を平然とやってのけるなんてすごい。 [Frog]


DH82DeHavilland DH82 Tiger Moth / 1934

大戦間に隆盛を極めたデハビランドのモス・シリーズは、このタイガーモスの出現により、その頂点に達します。充分な翼間距離と、ほど良い食い違いによる絶妙の失速特性が、どれほど初心者パイロットを勇気付けたことか。後のバトル・オブ・ブリテンで英国を守った空軍パイロットの中で本機のお世話にならなかった者はまずいないでしょう。英国人が今もこよなく愛する、名機の中の名機です。 [Airfix]


VimyC2Vickers Vimy Commercial / 1920

空飛ぶ"ブルー・ホエール"と、これは私が勝手に付けたニックネームですが、丸々としたクジラのような胴体が楽しい、民間商業航空黎明期のクラシックな旅客機です。原型のヴィミーは第一次大戦に間に合わなかった爆撃機ですが、平和の時代になって、数々の冒険飛行を始め、こんなユーモラスなスタイルでお客を運んでいたんですね。 [Maquette]


DeHavilland DH89 Dragon Rapide / 1934

トンボのように繊細な翼、ズボンをはいたような降着装置が、いかにも1930年代の ノスタルジーを誘う、愛すべき中距離旅客機です。英国には、いまでも飛行可能な本機があるのだそうで、いつか乗ってみたいと思っているのですが。 [Heller]


FairlyLRFairey Long Range Monoplane / 1931

大英帝国が航空のあらゆる分野で世界記録を保持しようと開発した、長距離記録機。1930年代に入ると、航空用エンジンの信頼性は格段に高まり、それまでの多発機に比べて距離を稼ぐための空力特性に優れた単発機が次々と世界長距離記録を塗り替えていきます。本機は1933年に英国から西南アフリカまで8595kmの世界記録を作った栄光の機体。 [Airframe /vacuform]


EmboyAirspeed AS6 Envoy / 1934

1930年代に斬新な単葉機を開発して突如英国航空産業に名乗りを上げたエアスピード社の出世作。前作の単発クーリエの好評により、本格的な近距離旅客機として発展させたこの機体は市場での評判もまずまず。わが国でも大日本空輸がライセンス生産しましたが、着陸時のルーピングという欠陥も後に指摘されました。 [RugRut /resin]


Bristol138Bristol 138B / 1937

この機体は、1937年に54千フィートの世界高度記録を作った高々度実験機です。当時は与圧キャビンは開発されておらず、パイロットはまるで潜水服のようなスーツを着て実験に臨んだのでした。この飛行機を初めて見た時、ジュール・ヴェルヌの空想科学小説にでてきそうな形だと思ったことを、今も覚えています。 [Frog]


VimyVickers Vimy / 1919

地味な英国人が、地味なコースを、地味な機体で飛んだので、皆ほとんど知らないのだけれど、実は大西洋を初めて無着陸横断するという快挙を演じた航空史に残る名機なのです。もともと第一次大戦中に開発された爆撃機ですが、結局戦争には間に合わず、特段高性能という訳でもないのに、その航続距離が買われて冒険飛行に大抜擢。それにしても何のマーキングもなく、やっぱり地味。 [Frog]


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