This room is for the exhibision of French civil aircrafts during the wars.
Please click on the aircrafts name underlined to see an enlarged image.
下線の飛行機名をクリックすると拡大でご覧になれます。




Airspeed Emboy"Air Pyrenees"/1937

英国の新興航空機メーカーAirspeed社のヒット作。低翼単葉で引込み脚を装備した双発旅客機という革新的なスタイルが受けて各国で使用され、我が国でも"ひなづる"の名前で三菱がライセンス生産しています。滅多に外国機を採用しないフランスでも、このクラスの自国製旅客機に遜色のない性能であると評価され、フランスとスペインを結ぶピレネー航空の路線に就航。1937年、当時内戦状態にあったスペインのバスク地方上空で誤って撃墜されました。アイボリーホワイト一色の清々しい塗装がその悲劇を象徴するかのようです。[RS Models]



Caudron C448 Goeland "Paris-Saigon racer" / 1936

フランスが当時自国の植民地であったヴェトナムまでの航空路確立のために開催した、1936年エアレースの参加機です。このレースはパリとサイゴンの間を往復して起点のパリに戻ってくる、という当時の航空技術のほぼ限界に近いマラソンコースで、おそらくコースの翔破成功はかなり困難だったものと思われます。その証拠にエントリーしたのは本機を含めてわずか3機、それも全て地元フランスだけ、という低調ぶりでした。レース結果についても、実際に開催されたのかのか、も含めて日本のネット検索では不明です。本機のGoelandという愛称は、フランス語でカモメのことですが、手ごろな中型旅客機としてエアフランスを始め、欧州の航空会社でかなり使われた機体です。胴体に大描きされた当時人気の漫画キャラクターがアクセントになっています。[RS Models]



Dewoitine D530"Marcel Doret"/ 1937

1930年代に急激な成功を収めた新興航空機メーカー、デボワチーヌ社の専属パイロット、マルセル・ドレがアクロバット用に使用した機体です。彼は第一次大戦から戦後の航空冒険時代を生き残り、数々の記録を打ち立てた名パイロットでした。この機体は元々D27としてフランス空軍の戦闘機のために開発されたものでしたが、1937年に改造を施されドレの愛機となった際に、新たにD530の名称を与えられました。そのため第二次大戦の主力戦闘機となったD520よりも新しい開発番号となっています。長くフランス空軍がこだわり続けたパラソル翼形式の機体ですが、パイロットの視界の邪魔となる胴体から主翼を支える支柱が、極力減らされていることが特徴です。[KORA]



Breguet 280T /1928

1920ー1930年代に世界の航空技術をリードしたフランスの中にあって、ブレゲ―社の最高傑作は19型シリーズでした。ビドンと呼ばれる長距離型は、大西洋の無着陸横断など数々の輝かしい記録を打ち立て、その搭載するイスパノスイザエンジンの優秀性と共に、世界にその技術の高さを知らしめたのです。この優秀な機体を旅客機に発展させたのが本機の280型です。機種のエンジン周りや主脚などの構造はほとんど19型を引き継いだ設計ですが、操縦席を含む太い密閉胴体に8名の乗客を収容でき、フランスの国内線や、植民地のアフリカと本国を結ぶ中距離路線で活躍しました。カマボコの断面を連想させる、独特のキャビン窓の形も印象的です。[FSE / resin]



Farman F401 /1934

1930年代に老舗ファルマン社が発表した小型機。乗客三人を乗せた単距離旅客機としても使えるし、軍用としては、連絡機、偵察機、傷病兵輸送機としても使えるという、多目的用途を狙った機体です。民間機としての需要はさほどでもなく、足回りの頑丈性を買われて軍用としては、一定数が採用されました。特に折から勃発したスペイン内乱では、フランコ側、共和国側の双方で働いたという記録が残っています。[Dujin / resin]



Bernard 190T / 1930

1925年にフランスとルーマニアの合弁企業として設立された航空会社CIDNAは、花の都パリと東欧を結ぶ空の定期運航路線を作り上げました。その機材として1930年に採用されたのが、本機190T型です。この前年、液冷イスパノエンジンを搭載した長距離型カナリア号が、大西洋無着陸横断に成功し、当時としては極めてクリーンな設計で評判の機体でした。本機は定期民間路線用に、英国のジュピター空冷エンジンのライセンス版であるフランスのグノーム・ローンを搭載して活躍。7人の乗客を乗せてヨーロッパの空を往復していたのです。1933年にCIDNA社はエール・フランスに吸収合併され、本機も現役を引退しました。[VAMI / resin conv.]



Farman 220 "Le Centaure" / 1935

フランス機らしからぬ直線的で武骨なスタイルの巨人機。第一次大戦でドイツが実用化した大型戦略爆撃機に刺激されたフランスが、戦後に開発した4発重爆です。設計開始が1925年と古く、開発に膨大な時間をかけたために空軍に本格的に就役した1930年代後半には、すでに旧式化してどうにもならない機体でした。それでも他に代替できる機種もなく、そのまま第二次大戦に突入してあっという間のフランス敗戦に、活躍の場は無かったのでした。しかし長大な翼と左右にタンデム配置された計4基のエンジンが生み出す長い航続力が認められ、1930年代にはエアフランスが南大西洋路線の長距離郵便機として採用して、フランス本国と南米アルゼンチンの間を何度か行き来しています。それがこの Le Centaure(ケンタウロス号)です。[AeroVac / vacuform conv.]



Air Couzinet 10 / 1937

フランスの航空機設計者レネ・クージネは、独特の造形センスを持つエンジニアで、彼の作った最も有名な航空機アルカンシェール(虹)は、その芸術的なスタイリングで、今も航空史に異彩を放っています。その彼がブラジルからの注文を受けて設計した本機は、かなり落ち着いたフォルムとなったものの、いたる所にやはり彼の個性がにじみ出る作品となりました。特急列車の展望車を連想させる胴体キャビンの形状や、異常に低い位置におかれた水平尾翼などは、彼ならではのフォルムと言えるかもしれません。郵便機として一機だけ作られた本機は、何故かブラジルには買い取られず、本国フランスでひっそりとその生涯を終えました。[FSE / resin]



Latecoer28 airliner / 1928

現在のエアフランスの前身、アエロポスタル社の郵便事業と民間旅客事業のために作られた中型機。上翼単葉にすっきりとした胴体を組み合わせ、イスパノエンジンを搭載した近代的な姿は、それまでの古めかしい複葉スタイルからいち早く脱した航空先進国フランスの面目躍如といった印象を与えます。トイレ付きのキャビンには8名の乗客を収容でき、操縦席も密閉されていることから長距離飛行にもパイロットの好評を勝ち得た傑作機でした。[SBS model / resin conv.]



Lioret et Olivier 213 / 1928

1920年代後半にデヴューした大型旅客機。ファルマン・ゴリアテの後継者としてドル箱のパリ・ロンドン路線に就航し、世界で初めて機内で本格的な温かい食事を提供したことから"空飛ぶレストラン"の愛称を与えられました。元々は空軍の夜間爆撃機として開発されたLeO20の設計をベースに、メインキャビンに乗客16名、機首にも追加の座席を設けることで最大18名まで運べるよう、胴体を再設計して大きく膨らましており、クジラを彷彿とさせる当時としては世界最大級の巨人機と言えます。[Full scratched]



Bernard 80GR "L'Oiseau Tango" / 1931

1920ー30年代の航空界をリードしたフランスが長距離飛行の世界記録を次々に塗り替えていた時期、その最後の光芒を放った名機がこのベルナール80です。1930年に初飛行した本機は、珠玉の名エンジンであるイスパノスイザ12気筒V型を搭載したシンプルでクリーンな単葉機でした。操縦席は上下に可動し、空気抵抗の軽減のために離着陸の時以外はパイロットは完全に胴体内に隠れる形で操縦が行えました。そのため視界を確保するための大きな三角窓が操縦席左右に設置されています。華やかなオレンジレッドを全身にまとったこの機体は、名パイロット、メルモーズの操縦により1931年に8800キロ無着陸飛行という周回世界記録を打ち立てています。我が国の航研機の設計にも多大な影響を与えたと思われる、フランス航空技術の清華です。[Full scratched]



Sikorsky S43 Aeromaritime / 1937

ロシア革命でアメリカに亡命したイゴール・シコルスキーが設立したシコルスキー社は現在でもヘリコプターで有名ですが、ヘリコプターの開発以前には大型飛行艇のトップメーカーでした。その最大の成功作S42をスケールダウンし、胴体中央部に引き込み式降着装置を採用した水陸両用の旅客機が、このS43飛行艇です。陸でも海でも降りられるという便利さは大きなメリットですが反面、複雑で重い降着装置の搭載により航空機としての性能上はかなりのハンデになります。このため運用コスト重視の民間航空会社ではそれほどの需要がなく、むしろ軍用としてその多用途性が重宝されました。それでも米国以外の航空路線でもいくらかは採用されており、フランスのAeromaritime航空会社が西アフリカのダカール路線で運行を行っています。[Sword]



Caudron 510 Pelican / 1935

1935年に創立され、広大な植民地、仏領アフリカをその活躍の場としたフランスのAeromaritime社の使用機です。旅客機としてより安全な双発形式のコードロン445ゴエラン(かもめ)がまだ開発中であったため、それまでのつなぎとして同じコードロン社の本機ペリカンが採用されました。乗客を3名運べるこの小型機は、仏領西アフリカのニジェール・ベニン路線に就航して短期間ながら活躍したようです。第二次大戦後の機体とも思える先進的なスタイルはさすが名門コードロン社の作品。フランス本国でも救急医療用に使われています。[Dujin / resin ]



Nieuport29v racer / 1923

日本陸軍航空隊でもライセンス生産された1920年代のフランス空軍の主力戦闘機をスピードレーサーに改造した機体です。本来二張間の翼組を、速度向上のために思い切って切り詰め、弦長も縮めてコンパクトに仕上げてあります。イスパノ・エンジンの余裕馬力もあってこの改造は成功し、1923年のドイッチェ杯優勝という快挙を成し遂げました。[Chorozty / resin conv.]



Caudron Simoun "Jean Mermoz" / 1936

名門コードロン社のおそらく最後の名機。砂漠の砂嵐を意味する愛称シムーンのイメージとは裏腹の軽馬力エンジンを搭載した可愛らしいスポーツ機です。しかし優秀な航続力を買われて数々の長距離冒険飛行に使われ、第二次大戦勃発後も、フランス空軍で連絡機として重用されました。1936年に大西洋上で行方不明となったフランスの名パイロット、ジャン・メルモーズの悲劇の直後、その名を冠して南大西洋横断に挑み見事に成功した女流飛行家マリーゼ・バスティエの愛機に仕上げました。[Heller]



Farman 190 "Joe ll"/ 1933

フランスの女流飛行家マリーズ・イルズが1933年にフランスからの訪日飛行を成功させた機体です。信頼性の高いグノーム・ローンエンジンと密閉式のキャビンにより良好な長距離飛行能力を持つ本機ですが、ファルマン伝統の直線的な翼型と相変わらず羽布張りの構造の旧さは、その後の同社の技術の停滞と凋落を予感せずにはいられません。
キットは本来の中距離旅客機型ですが、イルズの訪日飛行型はキャビンの乗客席を取り払い、角型の窓を左右に2枚ずつ取り付けていますので改造を加えています。
[SBS models / resin]



Farman F40 / 1933

フランスの航空パイオニア、アンリとモーリスのファルマン兄弟が、それぞれの代表作をベースに再設計したのが本機。初飛行は1915年で、折からの大戦では偵察機として活躍しました。本来なら第一次大戦機の範疇ですが大戦後も長寿を保ち、1933年にはフランス国内での軽飛行機によるレース"Tour de France"にも参加しています。[Roseplane / vacuform]



Morane Saulnier MS234 / 1934

もともとはフランス空軍の練習機であったMS230を改造した機体です。エンジンをイスパノ空冷9気筒に換装してNACAカウリングを被せ、複座の前席をつぶして一人乗りにしてあります。本機は1931年のミシュランカップにレーサーとして参加しましたが、原型が練習機ということもあってスピード勝負には向いておらず、むしろ軽快な操縦性を活かしたアクロバット機として米国を渡り歩き人気を博しました。[Heller conv.]



Bleriot 125 / 1931

風船を膨らませたような丸々とした客室が翼の下に二つ。世にも不思議な形のこの旅客機は、名門ブレリオ社が自信満々で1930年のパリ航空サロンに発表した、当時としては夢のような斬新なデザインの機体です。設計者がこんな形の旅客機を作ろうとした理由は良く分かりませんが、おそらく乗客に機上からの最高の眺めを提供するためだったのか?確かに最前席からの遮るもののほとんどない視界は素晴らしそうで、もし現在でも飛べる機体があれば是非にでも乗ってみたいと思わせます。
しかし残念なことに肝心の飛行性能が余りに不安定で3年におよぶ改良の努力もむなしく、結局は旅客機としての認可がもらえず失敗作として消えていく運命でした。
[FSE / resin]



Farman 190 / 1928

1920年代の終わりに開発された小型旅客機。すっきりとしたボディに乗客4人を乗せ、ノームローンエンジンの信頼性もあって、欧州全域で活躍しました。こうした機体をさらりと作れたという意味で、本機の出現した1920年代後半当時には、まだフランスの航空技術は世界第一級のレベルにあったと言えます。[SBS models / resin]



Farman F180 "L'Oiseau Bleu"/ 1927

フランス語で"青い鳥"という名の飛行機です。フランス航空界の老舗、Farman社が、前作ゴリアテの基本構造を元に、タンデム配置のエンジンを上翼中央に置く斬新な設計で開発した野心作。パリから一気にニューヨークへ飛ぼうと、大西洋無着陸横断飛行を目指しました。数次に亘る試験飛行で残念ながらエンジン出力が十分でないことが判明、計画は中止。
Farman社はその後、キャビンの設計を全くやり直し、大型旅客機として欧州路線に就航させ、"青い鳥"は一躍有名な機体となりました。
[Full scratch]



Caudron C59 / 1923

1920年代の前半にフランスの名門コードロン社 が開発した極めてオーソドックスな複葉複座の多用途機です。1800機以上が生産されたということですから、当時としては驚異的なベストセラー機ですが、おそらく日本ではほとんど知られていません。フランス本国をはじめ、南米各国やトルコ・フィンランドなどの空軍に採用され、日中戦争では中国空軍に、スペイン戦争では共和国側でそれぞれ実戦任務についていた、との記録がありますから、相当な長生きの機体です。[Dujin /Resin]



Latecoere28 "Comte de la Vaulx" / 1930

アフリカのフランス領セネガルから、大西洋を飛び越えブラジルまでの航路開拓に使われた飛行機です。名パイロットであるジャン・メルモースの操縦により見事に大西洋横断を果たしたこの機体は、飛行の一か月前に亡くなったフランス航空のパイオニア、デラボー伯爵(Comte de la Vaulx)の名前がつけられています。[SBS model /Resin]



Bleriot Spad S61 racer / 1927

名門ブレリオとスパッドの合併により新たに誕生したBleriot-Spad社の主任設計者だったアンドレ・エルブモンは、機種のエンジン部から支柱を張り巡らした独特の設計思想を持っていました。結果として主翼中央部が大きく機種に接近し、著しく後退角を持った機体が次々と完成。一部で成功を見たものの、取扱いの複雑さや悪性の失速を伴う空気特性などから評判は今一つでした。このS61シリーズは、保守的なフランス空軍の仕様に合わせるため、エルブモン技師がその信念を曲げ、オーソドックスな複葉構造に戻した初めての機体です。しかし戦闘機としてはやはり安定性にかけるため不評で、多くははポーランドやルーマニアなどで使用されました。モデルは、本来の競争機として1927年以降多くのレースに参加した機体です。[VAMI /Resin]



Bleriot 110 "Joseph le Brix" / 1933

より速く、より遠くへ、1920ー30年代は航空機の急激な技術発展によって各国が速度、長距離記録の更新にしのぎを削った時代です。当時、航空技術で世界の最先端を走っていたフランスが、長距離記録の分野で送り出した最高傑作がこのブレリオ。デヴューと同時にイタリアが持つ周回距離記録をあっさりと破った後は、飛行のたびに新記録を更新。直線距離記録については、ついに米国東海岸から中東のシリアまで一気に飛んでみせるという驚異の実力を披露しました。胴体には全ての飛行記録が 誇らしげに書き込まれています。機体そのものは意外にシンプルで、鰹節を連想させる流麗なボディといかにも航続距離が長そうな大きな主翼が特徴です。[Full scratch built]



Latecoere 521 "Lieutenant de Vaisseau Paris" / 1935

1930年代の航空界を常にリードし続けたフランスが、その威信をかけて取り組んだ大西洋横断航空路線開拓の集大成として開発した機体です。イスパノエンジン6基を搭載したこの巨大な飛行艇は、1935年に試験飛行としての大西洋横断を実施し、その能力を十分に立証しました。 その後いくつかの長距離試験飛行を行い、1939年には満を持して米仏間の無着陸飛行を敢行。名パイロット、ギヨメの操縦により見事に成功します。この飛行にはギヨメの親友にして飛行家、"星の王子様"の作者でもあるサン・テジュグペリや、エアフランスの支配人も客として同乗していたとのこと。
リンドバーグの史上初めての無着陸横断からまだ10年しかたっていない頃です。これまでに大西洋上で失われた多くの命、特にナンジェッセー、コリ、メルモスなど多くのフランス人の犠牲の上に成り立ったこの飛行を、フランス国民は大きな感慨をもって受け止めたことでしょう。この機体によりついに北大西洋路線の商業航空はほぼ現実のものとなるはずだったのですが、その年に勃発した第二次大戦のために、夢の現実は戦後の平和な時代を待たねばならなかったのです。
[Aerovac / vacuformed]



Wibault Penhoet 283 T12 / 1930

1930年に初飛行した本機は、従来の複葉旅客機から低翼単葉形式へと革新的な飛躍を遂げたエポックメーキングな機体。10〜12名の乗客を乗せ、主要な欧州の航空路線で広く使われました。およそ流麗とは程遠いむしろ無骨とも言えるフォルムですが、そこはフランス人の作った機械ということで、独特の味があります。本当はズボンスパッツをつけた型の方が好きなのですが、こちらはずいぶん前に作ってしまったので、今回はAIR UNION社がパリ・ロンドン間を運航していた派手な塗装の機体にしました。同社は1933年にエールフランスに吸収合併されますが、そのエールフランスでも欧州線中距離ライナーとして引き続き活躍しました。[VLE Models / vacuformed]



Dewoitine33 "Trait D'Union"/ 1931

この長大な翼の長距離記録機は、それまで全くうだつの上がらなかった零細メーカーDewoitine社が一気に飛躍するきっかけを作った歴史的名機です。デヴューと同時に長距離飛行記録を次々と塗り替え、フランスの航空大国としての面目を大いに施しました。フランス人によると、その後のロシアのツポレフ長距離機やわが日本の航研機も、本機の"コピー"なのだそうです。二機が生産されましたが、残念ながら両方ともパリから東京を目指した冒険飛行の途上、ロシアで失われています。[Full scratch built]



Fokker F7 3M / 1930

航空史上おそらく、初めて世界中で使用された民間旅客機がこのフォッカー3Mだと思います。鋼管溶接に羽布張りの胴体に全木製の主翼という古典的な機体構造ながら、3発のエンジンでの安全性追求と、良好な飛行性能に加えて製造コストが安価であったこともあり、揺籃期にあった世界中のエアラインで次々と採用。日本を含む10ヶ国でのライセンス生産まで行われました。[Valom]



Dewoitine 332 "Emeraude" / 1933

旧態依然たる三発エンジン機で、ばかでかいズボンスパッツを履いた固定脚、そのくせクリーンな金属モノコック構造と、特徴だらけの機体。本機は原型であるD33長距離機からの発展型で、エアフランスが、当時の植民地ヴェトナムまでのアジア路線に就航させるべく開発を促した経緯があります。エムロード(エメラルド)号と名づけられ、お披露目のデモフライトで一気にサイゴンまで飛んで華々しいデヴューを飾りましたが、不幸にも帰国フライトで墜落事故を起こしました。しかし発展型のD338はその後エアフランスの主力機材となって活躍します。[Broplan /vacform conv.]



Breguet 530 Saigon / 1934

1930年代を代表するフランスの旅客飛行艇。原型は英国ショート社のカルカッタ飛行艇ですが、ライセンスを取得したブレゲー社で大改造を加えられ、いかにもフランス的な優美な姿に変身しました。民間型としては2機がエアフランスに採用され、それぞれ"アルジェリー""チュニジー"と命名され、北アフリカ植民地とフランス本国を結ぶ地中海路線に就航し、人気を博しました。[Aerovac /vacform conv.]



Nieuport Delage NiD62 / 1925

1920年代を代表するフランスの戦闘機です。その流麗なフォルムは、さすが航空最先端国の作品、ともてはやされましたが、その成功はほとんど搭載された強力なイスパノスイザ水冷エンジンによるものでした。モデルは1925年に周回長距離記録を達成した民間型、小翼下のラジエーターの形状が軍用の量産型と異なっています。[Azur]



Couzinet70 Arc-en-Ciel / 1933

一度見たら忘れられない独創的なデザイン。フランス人特有の芸術的な感性からしか生まれ得ないアーティスティックな飛行機械である本機は、ベルエポク(美しき時代)と呼ばれた1930年代を象徴するような存在です。大西洋横断可能な長距離郵便機として開発され,ジャン・メルモスをはじめとするフランスの名パイロットの操縦により西アフリカを経てブラジル・アルゼンチンに至る南米航空ルートの開拓に従事しました。アルカンシェール"虹"と名づけられ両翼と胴体に虹色のストライプをまとった優雅な姿は、今もなお航空がロマンであった時代を想起させてくれます。[AKATOMBO Works /resin]


Caudron C450 / 1934

前年のデヴュー試合で惜しくも2位となった原型からパワーアップし、再挑戦の1934ドゥーシュ杯で見事に優勝を飾ったコードロンレーサー。この成功で同社は一躍、世界最高のスピードスター生産メーカーの地位を確立しました。比較的小馬力のエンジンながら、十分な冷却システムと効率の良いプロペラ、加えて速度向上のために極力翼面積を削りながら、同時に大きなフラップを備えて離着陸時の安全性を追求する。当時の米国機がまだ追いつけなかった、航空先進国フランスの面目躍如たるハイテクマシンです。[Dujin /resin]


Levasseur PL8 "Oiseau Blanc" / 1927

リンドバーグによるNY-パリ間の無着陸飛行の直前に、はるかに困難な逆コースに挑戦し行方不明となった、悲劇的な企て。第一次大戦のエース、シャルル・ナンジェッセーと沈着なベテラン航空士フランソワ・コリの冒険に使用された機体が、この"白い鳥"号です。 巨大な燃料タンクを水密性の高い胴体中心部に配置し、信頼性の高いロレーヌ・ディートリック450馬力エンジンを搭載した本機は、 当時のフランス航空技術の最高峰とも言うべきマシンでした。しかしパリを飛び立ち大西洋に向かった"白い鳥"は、永遠にその姿を現すことはありませんでした。少しでも重量を減らそうと、離陸直後に切り離された脚支柱と車輪だけが、今もブールジェの航空博物館に残されています。[VAMI /resin]


Caudron C600 Aiglon / 1937

愛称のエグロンというのはフランス語で"鷲の子供"の意味。戦前のフランス航空スポーツ界をリードしたコードロン社のいかにも"らしい"一作。小型エンジンにクリーンでコンパクトな機体を組み合わせた、愛すべき軽飛行機です。当時の写真を見る限りでは、随分女性パイロットの愛機として登場しますので、操縦の易しい癖のない機体だったのでしょうか。良好な航続性能を生かしていくつかの長距離記録飛行にも使用されました。[Dujin /resin]


Latecoere300 "Croix du Sud" / 1936

航空史上、最も美しい飛行艇。優雅な曲線を描く広大な翼と、対照的に鋭角的なシルエットの4基のイスパノエンジン。艇体はきりっとした機首部の直線が伸びやかに後部につながり、特徴的な美しい垂直尾翼の柔らかなカーブと絶妙のバランスを構成する。眺めているだけで、ため息の洩れそうな見事な造形です。
この飛行艇は、数次の南大西洋横断飛行を成功させた後、名パイロット、ジャン・メルモースの最後の搭乗機となり、南大西洋で永遠に消息を絶った悲劇の翼、"南十字星"号です。
[Aerovac/vacuform conv.]


farman2231Farman 2231 / 1937

大西洋を超える郵便飛行を、安全にかつ商業的に成功させること。このフランスが進めた国家的な夢の実現のために生まれた巨人機がファルマン220シリーズです。南大西洋路線での定期郵便飛行をこなす能力を有した4発機の誕生。しかし就役直後に勃発した戦争の混乱の中で、この計画は挫折。戦後になって航空技術の発達により夢は確かに実現したものの、米国の急激な台頭により、もはやフランスのこの分野におけるリーダーとしての立場は二度と戻ることは無かったのです。 [Azur]


Bernard 191 GR H2 "Oiseau Canari" / 1929

リンドバーグに先を越され、名だたるパイロット達の悲劇的な失敗の後、フランスの威信をかけた大西洋無着陸横断を初めて成功させた機体が、この"カナリア号"です。乗組員3人に加えて、取材の米国人新聞記者がこっそり胴体後部に隠れて密航するというハプニングに見舞われながら、なんとかスペインの海岸に到達して冒険は成功しました。実機はパリの航空博物館に保存されています。
この全身真黄色の"カナリア"は、昔から作ってみたい飛行機でしたが、キットが市販される望みもほぼ無いことから、今回初めてフルスクラッチに挑戦しました。他のヴァキュームキットの端材や、プラ板・バルサを削り込んでの製作です。
[Full scratch built]


d338Dewoitine D338 / 1936

大戦間における、おそらく最も有名なフランス製旅客機。全金属製応力外皮構造と低翼単葉形式を備えた、完全に近代的な大型旅客機で、本来ならば、航空王国フランスの威信を担って、ダグラスDC3の対抗馬となるはずの機体でした。独特の長い機首と特大の主車輪がアクセントとなった、印象的なシルエットの飛行機ですが、エールフランスで使われた以外は生産機数は伸びず、世界的なベストセラーとなったDC3には抗すべくもない結果となりました。 [Broplan /vacuform]


Farman F60 Goliath / 1919

第一次大戦直後、最初にロンドンとパリを結んだ路線に就航した巨人旅客機。直線だけで構成された主尾翼と主脚は極めて古典的なスタイルで、お世辞にも優雅な姿とは言えませんが、乗客12名を収容して、巡航速度は時速100kmを超えず、ふわふわとドーバー海峡を行き来する姿は、さぞのどかな光景だったでしょう。日本陸軍が初めて丁式重爆として採用したことで、わが国でも比較的知られた機体です。パリの航空博物館に実物の胴体部分だけ保存展示されているものを参考に、エールフランスの前身、エアユニオン航空の塗装にしました。 [Broplan /vacuform (conv.)]


cams37 CAMS 37 / 1930

1920‐30年代に航空王国フランスの飛行艇開発を推進したCAMS社の作品。本機はフランス海軍にも採用されましたが、モデルは北大西洋での郵便輸送計画に使用された民間型です。北米定期航路の豪華客船イル・ド・フランスに飛行艇を搭載し、ニューヨークの沖合い700kmに達した所で、カタパルトを使って飛行艇を発進させ、本船が到着する1日前に、郵便と乗客を届けよう、との試みでした。実験は成功でしたが、わずか1日の短縮のために、これだけの大掛かりなしかけでは、やはり商業的に難しく、計画は頓挫しました。 [Azur (conv.)]


Potez62 Potez 62 / 1934

フランスの名門ポテーズ社が、もともと空軍用に開発した軽爆ポテーズ540型を改造して、旅客機に仕立て上げた機体。フランス国内では、折から乱立気味の航空会社の統合が行われ、新会社としてエール・フランスが誕生したばかり。近距離路線投入に格好の仕様の機体として、早速まとまった機数がエール・フランスに採用されました。個人的には大好きなフォルムですが、同時代の他国の旅客機に比べると、いかにも垢抜けないごてごて感が否めません。モデルは同様に市販の軍用型キットからの改造で製作しました。 [Heller (conv.)]


Potez56Potez 56 / 1934

低翼単葉で、比較的低馬力の双発エンジン装備。この時代のフランス機としては、極めてオーソドックスな近代的形態を持った旅客機です。ひと回りサイズの大きなコードロン445の登場によって、本機は本国のエールフランスでは採用されず、フランスのアフリカ植民地や、ルーマニアなど東欧の田舎路線で地味に使われただけでした。 [Dujin /resin]


WibaultWibault 283.T12 / 1934

まだエンジンの信頼性が充分でない時代、旅客機としての安全性追及のための有効な解決策が三発機デザインでした。客室の快適性を考慮してやたらに胴体の背が高く、印象的なズボンスパッツもどこかユーモラスで、懐かしい姿がたまらなく魅力的です。1933年にAir Franceが発足した際に、最初に採用したのが本機でもあります。 [VLE Models /vacuform]


Cousinet70Couzinet 71 Arc-en-ciel / 1933

この機体を眺めていると、メカニックの凝縮された航空機というよりむしろ美術館で良い芸術品に出くわしたような感動を覚えます。フランスを代表する飛行家メルモースの愛機として幾たびかの南大西洋横断に成功した、"虹"という名の機体。ベルエポーク(美しき時代)と呼ばれた1930年代のフランスの香りが匂いたつような優雅な造形です。 [Heller]


GoelanCaudron C.445 / 1935

第一次大戦以前からのフランスの名門コードロン社は20年代以降、精力的に民間機の製作に乗り出しました。かもめ(ゴエラン)と愛称のついた本機はシムーンと並んで、軽量エンジン装備ながら、低翼単葉の近代的なフォルムを備えた美しい機体ですが、やがて台頭してくる米国の航空産業に追い落とされる、はかない運命を予感させる姿態でもあります。青と白の清冽なエアフランスの衣装が大変良く似合います。 [Airmodel /vacuform]


SimounCaudron C.635 Simoun / 1937
栄光の1920年代から急激な凋落に陥ったフランス航空界が、おそらく最後に放ったヒット作。数々の長距離記録飛行に挑んだフランスの飛行家達マルセル・ドレ、アンドレ・ジャピーそしてあのサン・テグジュペリまでが、争うように本機を選んだのは小型機でありながら長大な航続力と広い密閉キャビンによる優れた居住性によるものか。でも途中リタイアも多くて、あまり運の良い機体ではなかったようです。 [Heller]


Spad33SPAD 33 Berline / 1920

第一次大戦が終わってまもなく、当時の航空先進国フランスは、早くも欧州各国への航空路の整備に乗り出しました。パリを基点に、主に東欧諸国からトルコまでの定期航空路に就航した最初の機材がこの飛行機です。乗客を4〜5人運ぶためにエンジンの防火壁の直後をキャビンスペースにしたところ、燃料タンクの置き場所が無くなったために、やむなく主翼上に大きなタンクを2個設置したという垢抜けない設計ですが、欧州大陸における商業航空のパイオニア的存在として、航空史上も貴重な機体。 [VAMI /resin]


Breguet14 / 1919

第一次大戦後の平和の時代になって、航空機が最初に請け負った仕事は郵便事業。空軍をクビになった命知らずのパイロット達の仕事であり、乗客を運ぶなどという危険なビジネスは、まだ誰も考えていない時代でした。従って機材も当然のように、空軍から払い下げられた中古機。星の王子様で有名なサン・テグジュペリの一連の航空文学の多くは、本機の吹きさらしのコックピットの中から生まれたものです。 [Pegasus]


Breguet XXI Super Bidon / 1929

フランス航空の精華、幾多の大飛行記録を作った名機ブレゲー19シリーズの中で、最も有名な機体がこのポワン・ダンテロガシオン(疑問符号)。そのハイライトは、リンドバーグに先を越されたニューヨーク・パリ間無着陸飛行を、逆風ではるかに難しい西行コースで成功させた事でしょう。トリコロールのたすきをまとった真紅の粋な姿ながら、自重の二倍以上のガソリンを積んで飛行するという凄まじい機体でもありました。 [Formaplane /vacuform]


Br19Breguet XIX / 1927

黄金の大飛行時代の象徴ともなった、航空王国フランスの誇る名機が、このブレゲーです。ふっくらとした胴体で巨大なガソリンタンクを包み込み、大面積の翼で航続力を稼ぎだすことで本機は幾多の大飛行記録を打ち立てました。モデルは、大西洋横断の夢を果たせず行方不明となったナンジェッセ・コリの悲劇の直後、両パイロットの名を付けられ、1927-28年にかけて世界一周に成功した栄光の機体を再現しています。 [Hitkit]


Br27Breguet 27 / 1934

前作19型の大成功で、一躍有名となったブレゲー社が、その後継として作り上げた他用途機がこの27型。胴体後部が突然ただの棒状になった、他に類を見ないユニークさですが、後部座席搭乗者の視界確保に留意してたどりついた形だそうです。それにしても異様なフォルムで、単なる思い付きだけで突っ走ってしまう、フランス人に時々見られる悪癖が、この頃のフランス航空界にそろそろ現れ始めたことの証かもしれません。モデルは、女流飛行家マリーズ・イルズの訪日飛行に使用されたジョエ3世号。 [Azur]


Potez25Potez 25/ 1925

第一次大戦後に世界をリードしたフランスの航空産業界にあって、本機のヒットで一躍大メーカーに成長したのがポテーズ社です。フランス人の設計には珍しくオーソドックスで特に新味は見られませんが、フランス空軍に偵察機として採用された他、信頼性が高く航続力が長いことから、民間でもアフリカ路線・南米路線などで郵便機として広く使われました。 [Merlin]


BernardV2Bernard V2 / 1924

1920年代前半のフランスは、速度の世界記録タイトルを巡って米国と凌ぎを削った戦いを繰り広げました。ほぼ毎月のように新記録が続出しためまぐるしい戦いの中で、1924年に本機の作った、時速448.171Kmは、その後なんと8年も破られることがなかったのです。大戦間に忽然と現れて消えていった、ベルナール社の最高傑作というべきでしょう。 [Dujin /resin]


caudron362Caudron C362 Racer / 1933

国際的な飛行機レースの分野で、1930年代に入ってからのアメリカの躍進は目覚しいものがありました。フランスが航空大国としての威信をかけ、"ストップ・ザ・アメリカ"に挑んだレーサーが本機です。1933年のドウ‐シェ杯でいきなり2位。アメリカの様にひたすら大馬力エンジンで速度追及するのではなく、出力の小さなエンジンでも、空力的に洗練されたデザインの採用で十分対抗可能であることを世界に示した 意義深い機体です。 [Dujin /resin]


inserted by FC2 system