This room is for the exhibision of German aircrafts during the wars.
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Bucker Bu131 "Jungmann"/ 1934

"ユングマン(ドイツ語の若人)"の愛称を持つ、大戦間のドイツで誕生した最高傑作の軽飛行機。軍用としては初等練習機、民間では曲技飛行の可能なスポーツ機として世界中で使用され、戦後も1960年代まで活躍し続けたようです。軍用練習機は国産を基本としていた我が国も、その優秀性に驚愕し、陸海軍ともにライセンス生産をするほどの優れた機体でした。 [Huma]


Junkers F13 Danzig / 1923

第一次大戦のドイツの敗戦により新しく独立した新興国ポーランドにとって、海に面した港湾都市を所有することは悲願でした。しかし唯一の候補都市ダンツィヒは欧州各国の思惑に翻弄された挙句、国際連盟管理の独立した自由都市として出発することとなります。多くのドイツ系住民が暮らし敗戦によってもぎ取られたこの街と、ドイツ本国を定期航空で結んだ際に使用されたのが、この機体です。赤字に白十字のダンツィヒ市の紋章を身にまとった派手な塗装が印象的です。 [Revell]


Junkers A50 Junior / 1929

ユンカース社お得意の金属製波板構造のスポーツ機。しかし波板構造の頑丈さは、大型機の場合には十分なメリットとなるのに対して、こうした小型機の場合は果たして適していたのか、については大いに疑問があります。どうしても自重がかさむため運動性とパワーの不足が欠点となりますし、何よりも高価な機体となるのです。そのせいか本機は世界中へのプロモーションにも関わらず売れ行きは伸びず、わずか50機ほどでその生産を終えてしまいました。 [DEKNO Models/ resin]


Messerschmitt M18 / 1926

第二次大戦でドイツを代表する戦闘機を作ったメッサーシュミット教授を、その先進的でクリーンな設計で一躍有名にした機体がこれです。ドイツ国内線の短距離旅客機として重用されました。 [DEKNO Models/ resin]


Focke Wulf FW44 "Stieglitz" / 1932

練習機、スポーツ機として開発された本機は、ちょうど同じ年に発表された英国の名機タイガーモスに匹敵するドイツの翼です。軽馬力の空冷ジーメンス・ハルシュケエンジンを搭載。思い切った食い違い翼で良好な空力特性を持っています。愛称のStieglitzはゴシキヒワという小鳥のことですが、ナチス政権前の平和の時代の平和なマシンをイメージさせる良い名前だと思います。 [Huma]


Rumpler D1/1919

第一次大戦の末期に開発され、結局ドイツの敗戦までには間に合わなかった戦闘機です。高性能で評判の高かった偵察機Cシリーズとは異なり、ずんぐりとしたモノコック胴体を持っていますが、悪性のスピンに陥る癖が最後まで修正できず、空軍での活躍は幻となりました。結局ルンプラー社も戦後は航空機の開発から撤退し、本業の自動車製造に回帰したのですが、会社の経営が傾き倒産。資産は現在のBMW社に継承されています。モデルは空軍のパイロットであった、リッター・フォン・グライムがベルサイユ体制の戦後ドイツで、ルンプラー社の宣伝のために使用した機体です。なおこのグライムは、ナチスドイツ崩壊直前に、ヒトラー救出のためベルリンに飛来し、ゲーリングの後継者として空軍元帥に抜擢されたことで歴史に名を残しました。 [Formaplane / Vacuform]


Junkers W46fi "EUROPA" / 1933

大西洋を越えて欧州と米大陸とを結ぶ郵便サービスを、航空機の利用によって大幅に時間短縮する試みは1930年代に急速に活発化しました。 敗戦により出遅れていたドイツも、汽船に設置したカタパルトから搭載した飛行機を大西洋上から射出し目的地に到達するという手法で、この技術競争に参加します。1933年にドイツ客船オイロパ(EUROPA)に搭載されて郵便サービスに従事したのが、全金属製波板外板構造で知られるユンカース社の本機。同僚のブレーメン(BREMEN)と共に活躍しました。まだ大西洋を無着陸で横断することが冒険だった時代です。 [MPM conv.]


Focke Wulf FW58 Weihe / 1935

鋼管羽布張りで軽馬力エンジンの双発という手堅い設計の中型旅客機です。ほぼ同時期に開発されたフランスのCaudron445と似た仕様で乗客6名ということでも共通していますが、そのスタイルは両国の国民性や政治的な背景を反映して大きく異なるものとなりました。Caudron445はキャビンもスペースが広く取られて純粋に民間旅客機としての設計であるのに対して、本機は軍用への転用をかなり意識したフォルムで胴体はほっそりとしており、降着装置も荒れ地での使用を考慮してか複雑で頑丈そうです。案の定、本来の民間旅客機としてはルフトハンザも採用せず、結局はデビューからまもなく、時のナチス政権によって機種をガラス張りとした改造がほどこされ軍用連絡機となりました。民間記号をまとった機体はわずかで、今回作成した試作型や、設計者クルト・タンクが自家用として愛用したD-ALEXが知られている程度です。 [Special Hobby]


Udet U12a "Flamingo Special"/ 1926

第一次大戦の過酷な代償として航空開発を禁じられた敗戦国ドイツでしたが、かろうじてスポーツ用の軽飛行機のみはその規制対象から外れていました。空軍のエースパイロットであったエルンスト・ウーデットが航空会社を設立して飛行機製造を始めたのは、敗戦からわずか3年後の1921年です。そしておそらく最初で最後のヒット作となったのが、このU12フラミンゴ。ジーメンス製ハルスケ軽量エンジンを搭載した軽快なスポーツ機として誕生した本機は、デビュー直後から神業的な操縦技量を持つ社長ウーデットの各地でのアクロバットデモ飛行でその名声を高め成功作となりました。 [CMK / resin conv.]


Dornier DOX / 1930

大西洋を空路で結ぶというクラウディウス・ドルニエ博士の壮大な夢を実現するために作られた巨人飛行艇。当時としては驚異的な大きさの機体を持ち上げるために、12基ものエンジンを搭載していますが、それでもエンジン馬力が足らずわずか500mまでしか高度を取れなかったようです。1930年にフリードリヒスハーフェンを出発して大西洋横断の冒険に乗り出しましたが、相次ぐ故障に悩まされながら南米を経由し、最終目的地のニューヨークに到着したのは出発から10ヶ月後のことでした。商業航空用には余りにも巨大過ぎ、また信頼性も不十分であったことから、本機は所詮実験機的な意味合いから逃れることはできませんでした。しかし、大西洋航路開拓という航空技術史を語る場合には、決して外せない機体です。 [A model]


Junkers G38 / 1931

当時としては破天荒とも言える、30人以上の乗客を運べる巨人旅客機。いかにもドイツ的ないかめしいフォルム、波型の全金属外板で構成された無骨な厚い翼の付け根には展望座席があります。当時ドイツの技術に心酔していた日本陸軍は、仮想敵国米国のアジアの要衝、フィリピンのコレヒドール要塞を攻撃するため、密かに本機のライセンス生産を行い、92式重爆として保有していました。その保有目的がトップシークレットだったために、存在をひた隠ししている内に、はっと気づいた時には完全に旧式化していた、という笑い話のようなエピソードもあります。 [Airmodel / resin]


Curtiss Hawk "Udet" / 1936

カーチス社の全盛期の作品となったHawkシリーズは、その搭載された頑丈で高馬力の空冷エンジンが、最大の成功要因ですが、空力性能についても同時代の世界のトップクラスでした。ベルリンオリンピックの開会式という国威発揚の場に、わざわざウーデットが米国製の飛行機を使用したのも、よっぽどその性能に魅了されたためだと思います。 [RS Models]


MesserschmittM35b /1933

第一次大戦後のヴェルサイユ条約で、軍用機の製造を禁止されたドイツが、ナチスの政権下で密かに空軍の再建を図っていたことは有名な話。この一見無害そうな"スポーツ"機も、実は空軍パイロットの養成に一役買っていたわけです。そう思って機体を眺めてみると、印象的な主翼の青白塗装も、なんだか世間を欺くために、ことさらに平和の翼を強調している気がしてしまいます。 [Huma]



do18Dornier Do18 V2 /1938

1920年代に大型飛行艇の分野で大ヒットを飛ばしたドルニエ社。胴体の脇から左右に突き出したスポンソンと胴体中心線の真上にタンデム配置した二基のエンジンという、極めて効率的なレイアウトを生み出し、Do15型"ワル"は空前の成功作になりました。この15型のレイアウトをそっくりそのまま踏襲し、空気力学的に洗練した形態に作り直したのが、この18型です。試作の段階から早速、欧州と南米を結ぶルフトハンザの郵便サービス、南大西洋ルートに就航して活躍しました。 [Machbox]

u12Udet U-12 Flamingo /1925

第一次大戦のドイツの撃墜王エルンスト・ウーデットが敗戦後に設立した航空機メーカー、ウーデット社が開発したU-12フラミンゴ。大きく丸々とした垂直尾翼とスッキリとした"I"型翼間支柱が特徴的な可愛らしい平和の翼です。ドイツ各地の飛行クラブや飛行学校で愛用されました。 [Alliance /resin]


heinkel111cHeinkel He111C / 1936

ナチス政権下の1936年にデビューした、ルフトハンザの新鋭高速旅客機。しかし本機は、時世の宿命からその後、再建成ったドイツ空軍の中核爆撃機として採用され、スペイン内乱からドイツの崩壊まで、過酷な生涯を送ることとなります。設計段階から軍用機としての使用を考慮されていたため、旅客機としては狭い胴体ですが、主尾翼の独特な曲線美とその胴体につながるラインの優雅さに、設計者ギュンター兄弟のセンスが窺えます。 モデルは6機ルフトハンザに納入された中の2号機、"ライプチッヒ"号。 [Roden]


wal Dornier Do15 Wal / 1922

当時一世を風靡した飛行艇王ドルニエの出世作。水がかからないようにエンジンを高く持ち上げ、胴体下部からヒレをつきだし、支柱でつないで主翼を支えるスタイルは、機能美そのものです。ちなみに愛称のワルとは、ドイツ語でクジラのこと。当時としては、かなりの巨人機であったようです。 [Huma]


he64 Heinkel He 64 / 1931

敗戦によって航空産業の息の根を止められたはずのドイツが、ベルサイユ条約でわずかに開発が認められたスポーツ機の分野で欧州中にその優秀さを認めさせた記念すべき機体。この気鋭の設計者ギュンター兄弟の出世作は、欧州主要都市の周回競技で軒並み優勝を重ねて一躍有名になりました。大柄なドイツ人が収まるのだろうかと心配な細くて狭い胴体に、程よくテーパーした直線翼。ユーモラスなほど大きな車輪。他に何の装飾要素もない、いかにもドイツ的な機能美に溢れたシルエットです。 [Dujin /resin]

he70Heinkel He70 Blitz / 1933

前作He64の成功で一躍注目を浴びた、ギュンター兄弟の最高傑作。米国で高速単発輸送機ロッキード・オライオンの出現に刺激を受けたルフトハンザ航空が、対抗機の発注を自国メーカーのハインケル社に持ちかけたところから開発がスタート。注文主ルフトハンザの要求スピードをはるかに上回る時速377Kmを記録して、センセーショナルなデヴューを飾りました。機種には愛称のブリッツ(電光)マークが描かれています。 [Matchbox]

enteFocke Wulf FW19 Ente / 1927

エンテは、ドイツ語で"カモ"のことです。主翼が後方にあって、長く首を伸ばしたスタイルが、カモに似ているためですが、空気力学的には、失速し難いという利点があって、ライト兄弟機を始め、初期の飛行機に良く取り入れられた形態です。本機は、生みの親のフォッケ教授を乗せて墜落事故を起こし、結局それ以上発展しませんでした。 [Airmodel /vacuform]

fwcondor Focke Wulf FW200 Condor / 1937

機能美に溢れた、いかにもドイツ人の造った機械という感じを抱かせる旅客機ですが、眺めていると、どうも平和の機体というのどかな気分になれない。尾翼のナチスのマークのせいもあるけれど、研ぎすまされたフォルムに加えて、旅客機なのにコンドルなどという猛禽の名前を頂戴したことも、その後戦争に使われることを予期していたかのようです。 [Revell]

f13Junkers F13 / 1920

第一次大戦でボロボロにされたドイツが、戦後いち早く民間航空産業に乗り出して最初のベストセラー。ユンカースが既に戦時中から実用化していた前金属波板外皮構造が、民間機に必要な安全性を保証し、かつ悪天候でも飛べ、維持も容易という多大なメリットを与えたわけです。これで勢いに乗った同社は、おはこの波板旅客機を第二次大戦の勃発まで作り続けることになります。 [Revell]

JuW33Junkers W33 Bremen / 1928

ユンカース社お得意の波板構造を採用し、馬力に不安はあるが信頼性の高いドイツ製エンジンを搭載して、乗員3人を運び、アイルランドからカナダ東岸へと、向かい風のため困難な西行き大西洋無着陸横断に成功した歴史的な翼です。その実績を買って、その後日本でも読売新聞社が太平洋無着陸横断に同型機を使いましたが、こちらは途中行方不明という悲劇的な結末となってしまいました。 [MPM (conv.)]

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