This room is for the exhibision of Italian civil aircrafts during the wars.
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Caproni Ca161bis / 1938

1930年代は、各国の航空産業が、より速くより遠くへを目指して凌ぎを削った時代でした。そしてもう一つの挑戦が、より高く、つまり高高度到達記録を争う競争だったのです。このレースの主役は英国とイタリア。1936年に英国のブリストル138型機によって達成された高度記録15,440mを翌年に破ったのが本機の最初の型であるイタリアのCaproni161型機。そのわずか一か月後には英国が再度ブリストル機で記録を塗り替えるという熾烈な競争が繰り返されました。この状況を再度破ったのが、このCaproni161bisです。1938年に高度17,083mに到達。この記録は現在でも複葉機による世界高高度記録として維持されています。これだけの高さのためパイロットは与圧された特殊スーツを着用し、まるで宇宙飛行士のような金属製ヘルメットを被って高度に挑戦したのでした。 [Scratchbuild]


CANT Z506 land-based version / 1936

イタリアの東の国境に近いモンファルコ―ネにあった造船メーカーCANT社は、1920年代から水上機の開発生産に乗り出しました。1930年代の中頃、鬼才と謳われた設計技師フィリッポザパータがCANT社のために作り上げた水上旅客機が本機Z506です。その流麗なデザインから生み出された機体は、1935年にデビューするや、高度、速度、距離の世界記録を新たに10個も塗り替えるという優秀性を示し、当時のイタリア航空でも14機が定期路線に就航しています。今回、その高い性能が注目され南米への長距離航空路開拓のために唯一機、陸上型に改造された機体を再現してみました。
フォルムの美しさもさることながら、主翼に施された赤と銀の翼の塗装が、さすがにイタリアを感じさせる粋なデザインです。
[Supermodel conv.]


Caproni Ca100 Limousine / 1930

イタリア空軍の練習機として成功を収めた、カプロ二技師珠玉の一品。英国のタイガーモスとも比較されるコンパクトな複葉機です。細身で大人しい姿ながら、上翼の方が下翼よりも短いという極めて珍しい設計。これでどういった効果を狙ったのかは良く分かりませんが、本機の最大の外見上の特徴となっています。民間でも広く使われ作例のようなリムジンタイプも現れました。やはりイタリア機にはイタリアンレッドが良く似合います。 [Chorostzy resin.]


Caproni Ca101 / 1928

この機体は元々民間の旅客機として開発されましたが、イタリアのアフリカ植民地統治用の爆撃機として使われた軍用型の方がよく知られています。機体構造はオーソドックスな鋼管羽布張りですが、独特の少し猫背な胴体と3発のエンジン配置は、主任設計者ロドルフォ・ヴェルドゥチオ技師の作品の特徴で、発展型のカプロニ133型にも継承されています。広大なリビア国内での商業路線として設立された"北アフリカ航空会社"の民間型に改造するため、銃座をすべて埋め、主脚のスパッツなどを追加して仕上げてみました。 [Fly conv.]


Caproni Ca310 "Libeccio" / 1938

前作でギブリを製作した勢いで、その発展型であるリベッチオも完成させました。 この機体はイタリア空軍のための軽爆撃機ですが、ギブリとの基本的な違いはパワーアップされた空冷エンジンに換装したことと、引込み脚になった点くらいだと思われます。本国イタリア以外にもお手軽な軽爆として結構いろんな国に輸出されてイタリアの外貨獲得に貢献してます。本機を購入したノルウェーは、お金が無いため代価として特産の干ダラで支払ったため、採用したノルウェー空軍では"干ダラ"というちょっと情けない愛称で呼ばれました。イタリアでの正式な愛称リベッチオとは、地中海から吹いてくる強くて湿った南西風のことだそうです。 [Azur.]


Caproni Ca309 "Ghibli" / 1937

映画"風立ちぬ"を最後に引退を発表した宮崎駿監督は無類の飛行機好きとしても知られています。"風立ちぬ"の中では堀越技師とイタリアのカプロニ伯爵との絡みのシーンが多く登場しましたが、カプロニの製作した飛行機の中に、実際にジブリ(イタリア音ではギブリ)という機体があったことは余り知られていないようです。軍用の連絡機として設計された本機は、少数ながら輸送機としてもイタリア領北アフリカで使用されました。ちなみにジブリとは北アフリカの砂漠地帯で起こる砂嵐の意味です。 [Vintage / resin.]


Savoia Marchetti 55 "Santa Maria" / 1927

いかにもイタリアンデザインな双胴飛行艇。この全木製の機体は"サンタマリア"と名付けられ、大西洋横断飛行という大冒険に使用されました。本国イタリアからアフリカを経て南米への飛行に見事に成功。勢いを駆って米国のニューオリンズまで飛来しましたが、彼の地で失火により惜しくも焼失しました。その後、このユニークな双胴飛行艇は基本デザインを保ちつつも改良発展し、バルボ将軍による空中艦隊の北米訪問という一大ページェントの主役となって、その名声は頂点に達します。 [Delta conv.]


Savoia Marchetti S64 / 1928

世にも不思議なスタイル。機首のキャビン以外は胴体らしきものはなく、長大な主翼上に高く持ち上げられたエンジンポッドは、まるでエイリアンの頭を想起させるフォルムです。この飛行機の基本デザインは明らかに双胴型飛行艇として有名なSavoia S55から派生したと考えられます。この急造の機体で航空史上始めて、欧州から南米大陸まで一気に無着陸飛行を決行して、しかも見事に成功したのですから、当時のイタリア人としてはさぞ鼻高々だったでしょう。 [Full scratch built]


AerMacchi C94 / 1935

水上レーサーの開発に明け暮れていたマッキ社が、突然のように発表した旅客飛行艇です。翼上に高々と据付けられた二つのエンジンナセルがとても印象的。まるで祭り舞台の上の和太鼓のような趣です。この飛行艇は当時のイタリアの航空会社Ala Littoriaが採用し地中海路線に就航。映画"紅の豚"には残念ながら登場していませんが、まさにあの時代にアドリア海の上空を毎日のように飛んでいた飛行機なのです。 [Broplan/ vacuform]


FIAT BR20 A / 1937

今も昔もイタリア人はスピードと冒険が大好き。戦前の航空機によるレース大会には、必ずと言っていいほどイタリア機が多数参加しています。とりわけイタリア勢が活躍したのが、1937年の夏に開催されたIstres-Damascus-Parisレース。南仏を起点にシリアのダマスカスまで飛び、ゴールのパリに引き返すという、欧州でも初めての過酷な長距離レースにエントリーしたイタリアは、サボイア79型機が1−3位を独占するという輝かしい勝利を挙げました。本機はサボイアの後塵を拝したとは言え、6位の好成績でフィニッシュしています。この機体はイタリア初の全金属製単葉爆撃機として有名で、日本陸軍でも使用されましたが、実際に戦争に使われた頃にはすでに半ば旧式化していたため、あまり華々しい戦歴はありません。しかし民間型のレーサーとしては見違えるほど美しいフォルムのいかにもイタリアンな飛行機だと思います。 [Itareli conv.]


Nardi 305 D / 1939

ミラノの零細航空機メーカーであるナルディ社の作った小型連絡機。空軍に採用され量産されたのは液冷エンジン付きでしたが、ヴァルター・ボラ空冷エンジンに換装した一機は、ガソリンタンク容量を増すために機首を延長され、ローマから当時イタリアの植民地だったエチオピアのアジスアベバまでを一気に飛んで、区間速度記録を打ち立てました。戦後あっという間に消え去ったナルディ社の持つ唯一の華々しい記憶の担い手です。 [VAMI / resin conv.]


Breda 39 Sports plane /1935

ブレダ社はイタリア有数の重工メーカーで、あらゆる種類の兵器を製作していましたが、その"死の商人"が気まぐれに作った可愛らしいスポーツ機33型は意外なヒット作になりました。その前作33型をパワーアップし、一回り大きなスポーツ機として開発されたのが、この39型です。前作のクリーンなスタイリングをそのまま受け継ぎ、尾翼をトリコロールに染め上げた姿は、いかにもイタリア的な粋な姿です。 [Dujin / resin]


Savoia Marchetti S65 /1929

シュナイダーカップで激しく英国と覇権を争ったイタリアですが、レーサー用の信頼性ある大馬力エンジンの開発で遅れをとっていました。 このハンデを一挙に覆すため、エンジンをタンデム配置して正面の投影面積を増やすことなしにエンジン2台の出力をフルに生かす設計を採用したのが本機。しかしただでさえ危険な高速機なのに、緊急の場合、後部のプロペラに邪魔されてパイロットの脱出は不可能。言わば"捨て身" の設計です。残念ながら、1929年のレースに出場した本機は空中分解を起こしパイロットの生命もろとも失われましたが、この野心的なマシンの記憶は後世に受け継がれました。 [Karaya / resin]


Macchi M33 racer / 1925

1925年のシュナイダ-トロフィーカップ米国ツアーに参加したイタリア機。この大会では地元米国のドゥーリトル操縦のカーチス機が優勝しましたが、本機は3位にランクインし、翌年のイタリア初優勝の礎石となった機体です。どうもこの機体がかの有名な"紅の豚"の愛機フォルゴーレ号のモデルらしい。実物は残念ながら真紅の機体ではなかったようですが、独特の流れるような艇体のシルエットと勢い良く持ち上がった美しいトリコロールの尾翼は、この時代のイタリア製飛行艇の特徴です。 [Alitaliane / resin]


Savoia Marchetti SM73 / 1934

1930年代のイタリア航空界で中心的な役割を果たしたメーカーのひとつであるサボイアマルケッティ社が、1934年に発表した大型3発旅客機。本機はイタリアの航空会社のほか、ベルギーのSABENA航空も愛用し、当時の欧州各国の飛行場でも大変ポピュラーな翼だったようです。安定したその性能に注目したイタリア空軍が爆撃機として改造を加え、SM81Pipistero(こうもり)と命名してエチオピアやスペインで悪名を轟かせたのは、本機にとって不幸な歴史。もともとはおっとりとしたフォルムの平和の翼だったのですが。 [Supermodel conv.]


CANT Z501 Gabbiano / 1934

名設計者フィリポ・ザパータのデザインした、いかにもイタリア的で優美な飛行艇。主翼を胴体から高く持ち上げた独特の姿が印象的。コックピットを並列にした不思議なデザインが目を引きます。さすがにこのレイアウトはその後の量産機では通常のスタイルに改められました。もともとは軍用機として開発されたのですが、原型の1機が完成直後、イタリア本国のCANT社工場から植民地エチオピアまで一気に飛んで、水上機としての長距離飛行記録を更新。ファシスト政権の宣伝の片棒を担がされました。愛称のGabbianoはイタリア語で"かもめ"のことです。 [Italeri conv.]


sm74Savoia Marchetti SM74 / 1934

縦長のぶっとい胴体は、イタリア的な大胆にして洗練されたフォルムからは程遠いイメージです。なんだか空飛ぶクジラかナポレオンフィッシュという感じ。しかし意外に先進的な設計で、すっきりと直線テーパーした主翼へのエンジン取り付けラインは、第二次大戦の米軍4発機を彷彿とさせます。高さの十分なキャビンに最大18名の乗客を収容。この後出現するDC3の21名には負けますが、それでも立派なカタログ性能です。この飛行機が意外に成功せず、わずか3機の生産で短命に終わったのは、おそらく馬力不足で不安定なエンジンを4基搭載していたことが最大の理由だと思います。 [Italian Wings /resin]


Caproni 100 "Caprontino" / 1930

蚊トンボのようにか細いシルエット。あでやかな緑白赤のトリコロール。本機は英国で言えばタイガーモスに相当する初等練習機ですが、イタリアにしては奇を衒わない保守的なデザインの複葉機です。唯一ユニークなのは、上翼よりも下翼の方が長い不思議なデザイン。くせの無い操縦性で初心者パイロット達から"Caprontino(小っちゃなカプロ二ちゃん)"と呼ばれて愛されました。モデルは北イタリアの湖水地方を本拠とした飛行学校で使われた水上型。有名なマッキ72レーサーが世界速度記録を打ち立てたガルダ湖の湖畔には、きっとこの飛行機が係留されていたはずです。 [Legato /resin]


macchi52Macchi Castoldi MC52 / 1927

参加各国の熱狂を巻き起こした戦前の水上機レース、シュナイダー・カップ。特に1926年にマッキMC39が米国の3連覇を阻む優勝を飾り、翌1927年は地元ヴェネチアでの開催となったイタリアでは、その盛り上がりは最高潮。2連覇を目論む地元の期待を一身に担って送り込まれた、このマッキMC52でしたが、結果はリタイア。宿敵英国のスーパーマリンS5にワンツーフィニッシュを決められるという屈辱的な結末でした。しかし雪辱を期した次回1929年の英国での競技で、本機の改造型MC52Rが2位に食い込む活躍を見せ、その機体としての優秀さを証明したのです。 [Vintage /resin]


ca133 Caproni Ca133 / 1935

独特の猫背スタイルと凝ったイタリアンデザインの垂直尾翼の取り合わせが印象的。イタリアお家芸の三発エンジンは、十分な馬力を有したエンジンの開発が遅れた為にやむを得ず採用した形式ですが、この時期のイタリア機を特徴付けるアクセントになっています。本機は軍用型の方が有名ではありますが、モデルはイタリア本国とイタリアのアフリカ植民地を結ぶ航空路線で活躍した民間旅客機に仕上げました。 [Aviation USK /vacuform]


sm79Savoia Marchetti SM79 / 1938

イタリアのレースマシンは陸でも空でも、あざやかな赤と決まっていますが、どうも戦前から、そうなっていたみたいです。1937年のパリ・ダマスカスレースに参加した後、ローマからブラジルのリオまで飛んだ本機は、お約束のイタリアンレッドに、緑と白のストライプが入った、いなせなナショナルカラーで纏めたファッショナブルな機体。ムッソリーニの息子が数々の航空記録を作ったことでも有名になった高性能三発機。戦争が始まってからは、爆撃機に改造されて、嫌々戦場へ出て行ったのですが、モデルのようなレース機にすると、見違えるように生き生きとした姿に見えます。 [Airfix (conv.)]


SX55Savoia S55X / 1933

世にも珍しいカタマラン(双胴艇)式飛行艇で、躍動感あふれるフォルムとマーキングは とても戦前の機体とは思えません。さすがイタリアと感心するものの、コックピットの 真上にエンジンを持ってきて平然としているセンス(多分死ぬほどうるさかったはず)も やはりイタリアか? 大編隊でローマからニューヨークまで飛んだ1933年の歴史的 飛行は本機を一躍有名にしました。 [Delta]


F7-3MFocker F7b 3M / 1926

第一次大戦で定着した"死の商人"のイメージを何とか打ち破ろうと、フォッカーが世に送った平和の翼。1920年代の大ベストセラー旅客機となった本機は、世界中の航空会社で採用。我が国でも大日本空輸に使用されました。作例のモデルは、戦前のイタリア航空が使用したカラフルなもので、Good Old Daysをしのばせる私のお気に入りの一品です。 [Frog (conv.)]


CANT506CANT Z506 / 1939

エーゲ海の島々と北アフリカに自国領土を持っていた戦前のイタリアにとっては、民間航空網の整備にあたって、高速水上機を開発することは、ごく自然の選択でした。全木製の流麗なシルエットといかにもイタリアらしい、赤を基調とした塗装が印象的。眺めているだけで、思わず気持ちが高揚してくるような雰囲気を持った飛行機です。モデルは市販の軍用機型からの改造ですが、銃座や観測席の設置で、流れるようなデザインが台無しになった軍用型とは違い、原型である民間型では、本来の美しさが余す所無く表現されていることが御判りいただけるでしょう。 [Supermodel (conv.)]


SVA9SVA9 / 1920

第一次大戦後のまだ混乱した世界情勢の中で、来るべき大航空冒険時代の幕開けを告げた、ローマから東京までの大飛行の主役。イタリア人って、いつもこういう、一番になにかやってみせるってのが得意なんですね。そう言えば、1970年の大阪万博で、イタリア館の入り口に本機の実物が展示してありました。当時は、何でこんな所にこんな飛行機が...と思ってましたが、履歴を知って、なるほどと納得したのは、それから15年はたった頃でしょうか。 [Choroszy /resin]


MC72Macchi Castoldi MC72 / 1930

狂気の天才カストルディ技師の快心作。水上機としての速度記録709.209Km/hは、70 年以上を経た現在でも、依然として破られていない。1400馬力のV12気筒エンジンを2台 タンデム配置し、強烈なトルクを二重反転プロペラで吸収、主翼全面をラジエーター とした、ひたすらスピードのみを追求するモンスターマシンでありながら、この優美 なスタイリングに脱帽。 [Delta]


mc39Macchi Castoldi MC39 / 1926

陸でも空でもイタリア人のスピード好きは、今に始まった話ではありません。水上機レースのワールドカップとして有名な、シュナイダーカップで、米国の三連覇を阻み、イタリアに栄光の優勝をもたらした真紅の機体。当時は無限の長さとも言える海上を滑走路にできた水上機の方が、陸上機よりもスピードが速いように設計できた、というのは意外に知られていない事実。つまり、その時代としては、世の中で最も速い乗り物だったのです。 [Vintage /resin]


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