This room is for the exhibision of Japanese Army aircrafts before the Pacific War.
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Dewoitine D1/1924

フランスの新興航空機メーカーDewoitine社が最初に製作した戦闘機。当時最先端の技術であるジュラルミン骨格構造を持つ革新的な機体で、日本陸軍が研究用にただ1機のみ輸入しました。まだ第一次大戦機の技術を引きづった当時の制式戦闘機”甲4”への習熟にさえ四苦八苦していた陸軍パイロットにとっては、とても乗りこなすのが難しいマシンであったと思われます。Dewoitine社の実績の無さもあり、本家フランス空軍も本機の採用を見送り、チェコなどでライセンス生産されたにとどまりました。紆余曲折はあるものの、その後Dewoitine社は民間航空分野で成功作を連発し、第二次大戦勃発時には、フランス空軍で唯一、ドイツのBf109とわたりあえることの出来た名機、D520を生み出すこととなります。 [KP & Dujin conversion]


Nieuport IV G / 1914

日本陸軍航空隊創設期に、複葉のモーリスファルマンと共に、フランスから購入した機体です。折から勃発した第一次世界大戦に日本が連合国の一員として参戦すると、敵国ドイツの極東の根拠地、青島の攻略戦にも参加しました。当時のブレリオ機などと同様に補助翼は無く、主翼をたわませて操作する方式で、主車輪の間隔も短いことから、かなり操縦の難しい機体だったろうと推察されます。当時は国籍標識の表示ルールも決まっておらず、陸軍機なのに垂直尾翼に旭日旗が描かれている珍しい機体です。 [A model]


Fiat BR20 Type"I"heavy bomber / 1938

93式重爆のあまりの低性能にショックを受けた陸軍が、なりふり構わずイタリアから買い込んだ爆撃機。全金属製・引込脚で爆弾内蔵式という近代的なスタイルとカタログデータに釣られて採用し、早速中国戦線に投入されましたが、舵が重く、燃費が悪く航続距離が出ないなど、繊細な日本のパイロットには評判は散々でした。後継機97重爆までのつなぎとして短期間の第一線任務で、地味な存在したが、モデルにすると日の丸を纏ったイタリア機というのもなかなか味があります。 [Italeri]


Nakajima Ki-12 experimental fighter / 1936

第一次大戦以来、わが国陸軍航空がひたすら師と仰いだフランス。そのフランスから導入を続けた航空技術の最後の試みがこの試作戦闘機です。当時としては画期的なイスパノスイザ690hpエンジンとプロペラ軸に装着されたモーターカノン砲という新技術を仕様に織り込んで中島が製作しました。しかし予め予測できたように重くて大馬力のエンジンを搭載した機体は、軽戦至上主義に凝り固まっていた陸軍のめがねにはかなわず敢え無く不採用。この後陸軍の技術導入はドイツ一辺倒の時代に突入します。 [Aki/resin]


Kawasaki Type88 Army reconnaissance plane / 1927

長く陸軍航空の主力偵察機の座を占めていたサルムソンに替わって、時期偵察機として採用されたのが、この88式。細長いヨウカンのように角ばった胴体とほっそりと長い主翼。翼支柱と脚支柱の単純な構成に新規さはありますが、形態としてはオーソドックスで面白味はあまり感じません。設計者は川崎がお抱え技術者として招聘したドイツのフォークト博士。直線的で簡潔なフォルムはそう言われて見るとドイツ的です。モデルはラジエーターを機首に装着した初期型ですが、88式というと、その後ラジエーターを胴体からぶら下げ、機首周りを丸みを帯びた形にした改良型の方が有名ですし、フォルムとしても魅力的です。 [Choroszy/ resin]


Nakajima Ko-4 Fighter /1921

1920年代を代表する日本陸軍航空隊の主力戦闘機。原型は第一次大戦に間に合わなかったフランスのニューポールNid29戦闘機です。強力なイスパノエンジンを搭載し、剛性の高い二張間の支柱で主翼を支えたスタイルは、設計者ギュスタブ・ドラージュの典型的な手法。流麗なモノコック胴体に魅せられてか、陸軍は本機を中島にライセンス生産させ、10年近く使い続けました。 [Azur]


91fighterNakajima Type91 Fighter /1930

1930年代に入っても航空先進国としてのフランスの名声は揺るがず、特に日本の陸軍航空隊のフランス傾斜は熱烈なものでした。必然的に初の国産戦闘機である本機も、設計者はフランス人で、当時のフランス機がことごとくそうであったようにパラソル翼を採用。しかし審査時に指摘された強度不足などの不具合を、中島の日本人技師達が大幅に改修。日本的なエレガントな戦闘機に生まれ変わったのです。 [AZ models]


Mitsubishi Type93 Twin engined Light Bomber /1933

戦前の陸軍機の中では傑作機と評価しても良い軽爆。同じタイミングでやはりユンカースの技術を導入した93重爆が失敗作に終わったため、余計にその優秀性が喧伝されました。およそ日本機らしからぬ無骨なフォルムですが、なかなか味のあるスタイルです。 [Choroszy/ resin]



Kawasaki Type93 Single engined Light Bomber /1933

昭和8年(1933年)は、陸軍の新型爆撃機が一挙に3種類も 採用された年です。この川崎製の単発軽爆は、本来は同じ用途の93双軽があれば十分だったのですが、貧乏国日本としては限られた予算内では高価な93双軽での機種統一が図れず、安価な本機との組み合わせでかろうじて計画機数を確保するために開発されたのでした。 [Choroszy/ resin]



Kawasaki Type92 Fighter /1932

BMW製水冷エンジン装備の奇怪な風貌を持つ本機は、91式戦の後継機として開発されました。それまでフランス一辺倒だった陸軍航空は、本機以降ドイツの技術に鞍替えを果たし、川崎重工は陸軍のために戦闘機の開発に傾注。やがて名機飛燕につながる系譜の最初の作品がこの92戦です。 [Choroszy/ resin]



Kawasaki Type95 Fighter /1935

前作92戦の後継機として、陸軍最後の複葉戦闘機となった機体。 ドイツ製エンジンの怪異な風貌は前作から続く特徴ですが、それ以外の機体のシルエットには、日本独特の柔らかな線が採用されており、 日独混血の機能美にあふれたマシンです。 [Aviation USK]



salmsonKawasaki Type Otsu 1 Reconnaissance plane /1918

第一次大戦で大量に製造されたフランス製サルムソン偵察機を、川崎航空機が陸軍航空隊のためにライセンス生産したのが、本機。液冷星型という他に類を見ない独特のエンジンが特徴ですが、信頼性が高く、最後は民間に払い下げられて、なんと20年の長きにわたって、日本の空を飛び続けました。 [Pegasus]


mf Maurice Farman Type4 /1917

黎明期の日本陸軍航空を代表する飛行機械であるモーリスファルマンは、日本で始めて飛行した徳川大尉のアンリファルマンからの発展型です。乗員2名を乗せて最高時速90kmという、思わず笑えてくるくらいのんびりした時代の牧歌的な翼です。 [Blue Rider /vacuform]


spad Army Type Hei 1 fighter /1919

日本陸軍航空のフランスへの傾倒から、第一次大戦での活躍によって"白羽の矢"が立てられ、正式機となったのが、このスパッド13型機。本家フランスでは、既に後継機のニューポールNid29の開発が進み、正式採用直前の状態でしたが、極東の田舎航空隊を自他ともに任じていた日本陸軍航空隊は、悩まずこのスパッドを選びました。そして、この中古機材を昭和に入るまで、つましく使い続けます。 [Revell]


88RECKawasaki Type88 Reconnaissance plane /1927

余りにも長寿を保ったサルムソン偵察機を、そろそろいい加減に改編せねば、と陸軍が各社競争試作の中から選んだ川崎製の新鋭偵察機。見事に採用を勝ち取った川崎ですが、設計はドルニエ社から招いたフォークト博士に丸投げ。まだまだ日本に航空機自立開発の能力が無かった時代の機体です。 [Choroszy /resin]


92ecMitsubishi Type92 Reconnaissance plane /1931

名機と言われた88式偵察機の後継機として、フランスから招聘したベルニス技師の設計した地上協力を主任務とした偵察機。この頃フランスで大流行した高翼単葉(パラソル翼)形式を取り入れたコンパクトな形態ですが、性能は平凡そのもの。この2年後に出現した94式偵察機がやはり名機だったおかげで、その生涯は短命に終わりました。 [Choroszy /resin]


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