This room is for the exhibision of Japanese Navy aircrafts before the Pacific War.
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Short F5 flying boat / 1923

日本海軍が最初に採用した大型飛行艇は、まだ独自の開発力を持っていなかった当時の日本が、先進国英国から輸入したものでした。第一次大戦ですでに実戦経験を積み、その優秀性を認められたショート社の傑作飛行艇である本機は、採用した日本海軍でも高い評判を得て、その後の国産の大型飛行艇開発にも大きな影響を与えたとされています。[Roden]



Sopwith "Cuckoo" / 1920

帝国海軍伝統の雷撃戦法を担った、最初の雷撃機。第一次大戦終結直後の日本には、もちろんこうした新兵器を開発する力はなく、当時蜜月状態であった英国海軍から機材をそっくり輸入しました。いかにも英国風の四角四面の面白みのない生真面目な機体ですが、ここから25年間最後の艦攻"流星"まで脈々と受け継がれた、帝国海軍雷撃機の系譜の記念すべきルーツです。[Libramodels / vacuform]



Type93 Intermediate Traner / 1934

海軍パイロット養成のための中間練習機。まったくの初心者が最初に乗る初歩練習機から、一足飛びに性能が格段に進んだ一線機に進むのは難しいので、その間を段階的に埋めるために開発されたのが中間練習機です。1934年の採用以来、この飛行機のお世話にならなかった海軍の航空兵はまずいないと思われ、終戦まで10年以上に亘って活躍しました。愛称の"赤とんぼ"は、そのオレンジ塗装からの連想ですが、採用の初期にはまだ当時の正式塗装である銀色塗装が施されており、今回はそちらで仕上げました。[ LS ]



AVRO504 Seaplane Trainer / 1921

第一次大戦終了後、旧日本海軍が水上練習機として輸入した英国機。英本国でもその練習機としての優秀性は証明済で、いかにも英国的な保守的なスタイルです。くせのない素直な飛行特性で我が国でもたくさんのパイロットを育て上げました。モデルは垂直尾翼の面積を広げて安定性を増した水上機型です。 [Airfix conv.]



Supermarine Seal / 1921

旧日本海軍が当時の同盟国英国から輸入した飛行艇です。美しい曲線で構成された木製胴体と、武骨で厳しいネイピア・ライオンエンジンのコントラストが印象的。輸入された2機は霞ヶ浦で訓練用に使用され、多くのパイロットを育てました。[Karaya / resin]



Mitsubishi Type93 Land Attacker / 1930

日本帝国海軍が異常な情熱を持って開発を続けた大型陸上攻撃機という機種は、当時の世界では極めて珍しいものでした。ワシントン軍縮条約により主力艦の保有量に制限を加えられたことから、それに替わる対戦艦攻撃能力を、というのがこの機種の開発目的です。今回制作した93式陸攻は、その元祖的存在。この後95式陸攻を経て、96陸攻、一式陸攻、そして銀河へと連なる海軍陸攻の系譜のトップバッターです。英国人設計者によるこの物々しい機体は、安定性に欠ける失敗作となり、わずか11機しか生産されませんでした。[Choroszy / resin]



Aichi Type94 Carrier Dive Bomber /1934

米国で生まれた、ピンポイントでの対艦船攻撃の有効な戦術が急降下爆撃。米国はこのための機種としてカーチス社にヘルダイバーを作らせました。危機感を覚えた我が日本も同様の機種の開発を考えたのですが、悲しいかな、技術が追いつかず、ハインケル社に代わって設計してもらったのが本機。性能は可もなし不可もなし、という平凡なものでしたが、それでも帝国海軍最初の艦上急降下爆撃機として記念碑的な機体です。[Choroszy / resin]



Kawanishi Type94 Seaplane / 1934

長く傑作水偵として使われた14年式水偵の後継機として開発されたのが本機。水冷エンジンを装備し、英国フェアリー社の伝統を受け継ぐ翼形の スマートな新型水偵は海軍の高い評価を受け、その後愛知の零式三座水偵にバトンを受け渡すまで、長期に亘って活躍しました。水偵の川西の名前を一躍高からしめた、思い出の翼です。モデルは通常とは違うユニークな衣装をまとった重巡"那智"搭載機。[Hasegawa]



Yokosho Type14 Seaplane / 1924

旧帝国海軍の綿々たる水上偵察機の系譜の初期に出現した傑作水偵。14年式という名称から分かるとおり、大正時代に正式採用された本機は設計・製作まで全てを日本人の手で行った初めての国産水偵です。極めてオーソドックスな設計ですが、実用性に優れこの種の機体としては例外的な9年間という長きに亘って生産が行われました。機体に書かれた"コンガウ"とは搭載された艦名、巡洋戦艦"金剛"のことです。[Choroszy / resin]



Watanabe Type96 Seaplane / 1936

日本独特の、潜水艦に搭載して索敵任務をこなすことを目的に開発された小型水偵。そもそもどんなに小型でも飛行機を搭載できる規模の大型潜水艦を、何故日本海軍は欲しがったのか、というのが大きな謎です。おそらく国力が仮想敵国の米英に比べて劣るため、数の競争では負けるという発想から、比較的小型で大量の潜水艦を集中投入する、という用兵思想をあきらめた結果、個々の艦艇の性能を引き上げて勝負しようとしたのだと思います。その結果として開発されたのが本機。実戦にはほとんど役に立たなかったとは思いますが、コンパクトで可愛らしい飛行機です。[Choroszy / resin]



Nakajima Type90 Seaplane / 1931

米国製ヴォートコルセア水上偵察機の性能にほれ込んだ帝国海軍が、中島にライセンス生産させた"艦隊の眼"。従来のオーソドックスな双フロート方式から脱却し、大型の単フロートと左右の補助フロートという、当時としては大変ユニークなレイアウトとなっており、飛躍的な空力性能を実現しました。本機の設計技術をふんだんに取り入れ、その後中島は後継機として95式水偵という傑作を完成します。[Choroszy / resin]



Aichi Type96 Carrier Bomber /1936

日本海軍最後の複葉艦爆。伝統的にハインケル社の技術導入 を続けてきた愛知航空機の作品ですが、当時の日本機としては異例に太い胴体と大きく踏ん張った降着装置が、いかにも頑丈なイメージを与えます。日華事変にも出動し、それなりに実戦の経験を積んだ機体で、次期作99艦爆への貴重な技術継承を果たす役割を担いました。[Choroszy / resin]



Mitsubishi Type10 Carrier Attacker /1920

第一次大戦が終わって仕事の減った英国の名門ソッピース社が、極東の海軍国日本からの依頼に基づき設計した、世界に類を見ない三葉形式の艦攻。あの名機キャメルの生みの親であるスミス技師にしては、あまりスマートとは言えない仕上がりの機体です。当時のエンジン馬力では、重たい魚雷を運ぶのはかなり厳しい制約となるのは分かりますが、それにしても四角四面で無骨一点張りの、あいそのないフォルムはなんとかならなかったものか。[Choroszy / resin]



Kugisho Type96 Carrier Attacker / 1935

日本海軍のもっとも重要視した機種である、艦上攻撃機の系譜に連なる一作。前作に続いて海軍空技廠が製作した本機は、お世辞にも美しいと言える機体ではありませんが、海軍最後の複葉艦攻として中国での実戦にも参加しました。この機体の後継者が、あのパールハーバーでの殊勲者97艦攻であることを思うと、当時の航空技術の発達速度はすさまじいものだったことが良く分かります。[Choroszy / resin]



Mitsubishi Type13 Carrier Attacker /1925

日本海軍が兵器開発を全面的に英国に頼っていた時代、空母搭載の艦載機の設計はソッピース社に任されていました。最初の作品である10年式艦攻が三葉形式の奇をてらった設計でうまくいかなかったことから、次作であるこの機体は極めてオーソドックスな設計思想に転換。信頼性の高いネーピア・ライオンエンジンがうまくフィットしたこともあり、当時としては傑作機が出来上がりました。使いやすい機体として長期に亘って現役を続けた13年式艦攻は、海軍の顔として人気の高い飛行機だったようです。[Choroszy / resin]



Mitsubishi Type10 1MF2 Carrier Fighter /1922

日本海軍初の艦上戦闘機として、英国のソッピース社が設計し、三菱で量産されたのが10年式艦戦ですが、この2型はエンジンを馬力アップしたイスパノに換装したもの。1型の四角四面の面白みの無いスタイルに対して、機種の丸みを帯びたフォルムが特徴です。[Choroszy / resin]



Mitsubishi Type96 Carrier Fighter / 1936

先進国の航空技術をひたすら追いかけてきた日本が、ついに艦上戦闘機という分野でトップランナーに躍り出たことで格別の意味を持つ機体。零戦の設計者として不動の名声を勝ち得た堀越技師も、真のブレークスルーは、零戦ではなく、その兄貴分であった本機で達成されたものだと述懐しています。繊細なフォルムがいかにも日本人の作った機械という印象です。[Fujimi]


Nakajima Type95 Carrier Fighter / 1935

海軍航空の花形である艦上戦闘機の開発において、三菱の牙城を崩した、前作90式艦戦の後継者として、中島が送り出した最後の複葉戦闘機。その優れた運動性に海軍の戦闘機乗りは皆魅了されたと言われますが、わずか1年後に出現する96艦戦によって、複葉機の時代は終焉を迎え、本機はその短い生涯を終えたのでした。[Choroszy / resin]

Nakajima Type3 Carrier Fighter / 1928

10式艦戦の後継機として競争試作に応じた中島が、英国のグロスター・ガンベットを原型として改修を加えて作り上げたのが、この3式艦戦です。ずんぐりむっくりの、まるで熊蜂のような体型が印象的。日支事変の際に、米国製ボーイング戦闘機と日本海軍史上初となる空中戦を繰り広げ、見事に撃墜したことで一躍有名となりました。[Choroszy/ resin]


Nakajima Type90 Carrier Fighter / 1930

航空先進国の機体をライセンス生産したり、外国の技師を招聘して設計をさせたりと、それまでの外国頼りから脱却するために、とにかく日本人だけで造ろうということで出来上がったのが本機。同時代の欧米機の特長を寄せ集めた国籍不明のシルエットで、後年の零戦のような日本的フォルムは望むべくもありませんが、初めての純国産戦闘機ともなれば、それなりに愛着の沸いてくる機体です。[Finemold]

93trainerKugisho Type 93 Intermediate Trainer Seaplane/ 1934

今も日本人の郷愁を誘うオレンジ色の翼。海軍の飛行気乗りなら皆がお世話になった"赤とんぼ"は、もう現存する機体は世界のどこにもありません。わずかに模型でその面影を偲ぶしかないのですが、いかにも日本的なシルエットの柔らかな機体だったように思います。[LS]



Mitsubishi Type89 Carrier Torpedo Bomber / 1929

日本海軍は伝統的に英国をお手本としていたことから、まだ日本人だけでは自信のない時代は、英国人に設計を委託して航空機開発していました。本機も前作13年式艦攻の評判が良かったので、やはり英国のブラックバーン社に設計させたところ、これが大失敗。一応量産はしたものの、使い難くて性能も今ひとつという駄作だったようです。「やはり外国に頼れない」と、その後の国産化促進の動機になったという点で存在価値ありの機体、といってしまうと酷でしょうか。[Choroszy / resin]


Kugisho Type92 Carrier Torpedo Bomber / 1932

一発轟沈の破壊力を持った魚雷という兵器に日本海軍はよほど魅入られたと見えて、運搬手段としての艦上攻撃機の開発には一際力を入れています。前作89艦攻の不評により急遽開発された本機ですが、充分余裕のある出力のエンジンが手に入らなかった期間であったことが災いして、期待ほどの性能向上は達成できませんでした。[Choroszy / resin]


Mitsubishi 1MF1 Carrier Fighter / 1920

日本で初めての艦上戦闘機である本機は、まだ日本の航空技術が未成熟な時代であったため、オリジナル設計は英国人によるものです。このためそのシルエットは保守的で新味は乏しいものの、生真面目でそつのない仕上がりです。名機零戦に至る我が国の艦戦のルーツがこの機体であることを改めて思い直すと感慨もひとしおです。[Blue Rider / vacuform]


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