This room is for the exhibision of other countries aircrafts during the wars.
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Renard R30 /Belgium 1931

第一次大戦で深刻な戦禍を被ったベルギーにも、戦後、航空産業が芽生えました。この機体は1929年にベルギーの航空会社であるSABENA社が国産の旅客機採用を目論見、国内ほぼ唯一とも言える航空機製造メーカーRenard(ルナール)社に設計開発を依頼したことから作成されたものです。同社の設計は、当時の航空先進国の技術を寄せ集めたオーソドックスなものでしたが、そのためまったく新技術が含まれず、最初の機体が完成した1931年には、すでに時代から取り残された旧式機と評価される残念な結果となりました。わずか一機の完成でひっそりと消えていった機体ですが、当時のベルギーにも自前の航空産業が存在したことの貴重な証です。[VAMI/resin]


AERO ab11 "Bluebird" / Czechoslovakia 1926

第一次大戦後、独立国となったチェコスロヴァキアは、独自の航空産業を発達させた工業国でもありました。1926年に操縦士スタノフスキ、機関士シメクのコンビで実施された長距離周回飛行では、機体全体をスカイブルーに塗られ、"青い鳥"と名づけられたこの国産機によって、欧州各国のみならず、アフリカ大陸のモロッコ、アジアのトルコをもそのルートに加えることに成功し、同国の航空史に輝かしい成果をもたらしました。機体の構造は極めてオーソドックスであまり面白味はありませんが、本機は長距離飛行に備えて予備のプロペラを胴体下部に取り付けている他、翼間の二重張線に結氷対策としてレザーを被せているのが特徴的です。[Special hobby]


Fokker F7a Lorraine-Dietrich liquid engined / Poland 1929

1920年代後半から1930年代前半にかけて、世界中の航空会社で使用された大ベストセラー、Fokker7型シリーズは、当初は3発ではなく単発エンジンでした。様々なエンジンが搭載された中には、本機のように液冷エンジンが使われたケースもあります。ポーランドの航空会社LOTが当時採用していた機体を作ってみました。尾翼のロゴは今でもLOTが使っています。[Broplan / vacuform]


Dornier J Wal "Plus Ultra"/Spain 1926

スペイン航空史上重要な機体。1926年にスペイン本国から南米アルゼンチンのブエノスアイレスまでの冒険飛行に成功した飛行艇です。本機の原型は世界中でライセンス生産された、ドイツDornier社の傑作飛行艇ですが、このスペインCASA社で製作された機体は、"Plus Ultra"(ラテン語で、もっと先へ、という意味)と命名され、スペイン人として初めての大西洋横断を成し遂げました。旧宗主国のスペインと空でつながったことに対するアルゼンチン国民の喜びは大きく、今もこの記念すべき機体はアルゼンチンのルハン市に保存されています。そしてレプリカながらスペインマドリッドの空軍博物館にもこの機体が展示されています。同様にスペイン航空史を彩る栄光の機体、2機のブレゲ―機(Cuatro VientosとJesus de Gran Poder)と共に。[A Models]


Hansa Brandenburg C1 /Czechoslovakia 1920

第一次大戦での敗戦により、オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊して、多くの新しい国家が誕生しました。ボヘミアの新興国チェコスロバキアもその一つで、この新しい国で創立された航空会社チェコ航空の最初の機材が、旧宗主国のオーストリアのHansa Brandenburg C1をライセンス生産した、AERO14型です。民間航空黎明期の機体で、軍用の偵察機をそのまま活用しているため、登録記号が無ければ、とても民間機には見えません。せめて全面渋い灰色塗装だけは何とかならなかったものか?[Vacwings / vacuform]


Ford Trimotor 5AT11 /Mexico 1930

自動車王フォードが飛行機製造も行っていいたことを証拠づける機体。全体のフォルムは当時一世を風靡していたフォッカー3Mの全くの模倣とも言えるものですが、アルミクラッド構造の全金属製としたことで、雨天での運航に問題がなく、頑丈な機体は安全性を重視する旅客機としてピッタリでした。米国を中心に約200機が製造販売され、一部は第二次大戦後もなお使われ続け航空史上も重要な機体と言えます。
1930年代にパンナムの子会社であったメヒカーナ航空の使用機に仕上げました。
[Airfix]


DeHavilland DH 83 Foxmoth /New Zeeland 1934

1930年代の民間軽飛行機分野で最大のベストセラー、デハビランド社のモスシリーズの中でも、小型旅客機として発展したのがフォックス・モスです。 基本設計はタイガー・モスをそのまま流用し、狭いながらも4人の乗客を収容できる密閉キャビンを備えた本機は、英連邦諸国で広く愛用されたほか、日本でも空冷エンジンに換装したコピー機が製造されました。 今回、ニュージーランドで使用された密閉風防を持つ小型旅客機に仕上げました。 [AVI Models]


AVIA B.122 / Czechoslovakia 1934

第一次大戦の敗戦によりオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、新興国として独立を果たしたチェコスロヴァキア。元々工業水準の高い地域で、独自の航空産業も1930年代以降急速に発達していきました。1934年の国際アクロバット大会に国産機で参加しようとの企図から開発されたのが本機。その用途から優れた運動性を追求した設計で、大会に出場するチェコ空軍のパイロットはわずか二週間の習熟訓練の後、ほぼぶっつけ本番に近い形で競技に臨み、4位と8位という好成績を挙げたようです。 [RS Models]


Lockheed Orion "Swiss Air"/ Switzerland 1934

ロッキード社の"星"シリーズ最後の木製旅客機オライオンは、その高速性能を買われ戦前のスイス航空でも使用されました。同社はその後台頭するナチスドイツ製の飛行機に主要機材を変更しますが、このオライオンはスイスのナショナルカラー赤と白に身を包み、欧州の空で活躍したのです。 [Special Hobby]


Caudron C448 "Goeland"/ Spain 1935

フランスの名門Caudron社がその全盛期である1930年代に送り出した中距離旅客機。愛称のGoelandはフランス語でカモメのことです。乗客6名、2発のルノー製220Hpという小馬力エンジンながら、最高時速300kmという高性能で、 エアフランスを始め欧州各国の航空会社で使用されました。このモデルはスペインのLAPE航空会社の使用機。 [RS models]


Letov S16 / Czechoslovakia 1927

地味なチェコスロヴァキアの飛行機ですが、意外にも日本と深い関係を持った機体です。1927年、スカーリ、タウフラ両飛行士の搭乗した本機は、本国の首都プラハから東京への親善飛行を敢行。そのまま復路飛行にも成功して、日欧の往復飛行を達成したのです。この年はリンドバーグが大西洋単独横断に成功した年でもあり、一気に世界は大飛行時代に突入したのでした。
そうした記念すべき機体ですが、日本でもほとんど知っている人はいないのではないかと思います。あまり特徴の無い武骨なフォルムに加えて、何の変哲もないチェコ空軍の地味な塗装。わずかに方向舵に書かれた飛行経由地の名前と、目的地東京の文字が、記録的な大飛行を控えめに主張しているだけです。
[Brengun]


RWD-6 / Poland 1932

第一次大戦後、長かったロシア帝国のくびきから独立を果たしたポーランド。先進国のライセンスを得ながらも徐々に自国産の航空機開発を進めてきました。1932年にドイツで開催されたスポーツ航空の国際大会、「チャレンジ・コンペティション」にポーランドは満を持して本機を参加させます。速度・運動性ともに各国の参加機に劣らぬ優秀な性能を示しましたが、中でも離着陸距離の短さ(ストール性能)では最優秀との評価を獲得しました。 [Mikro]


Gee Bee R6H "Q.E.D." / Mexico 1939

ビア樽のような強烈なスタイリングで有名なジービー・レーサーの最後となった機体。劣悪な安定性で極めて危険であったそれまでの機体から、機体全長を延長することで縦安定を改良し、実用性は向上しました。しかし本来のレーサーとしては、1934年のベンディックスレースを皮切りに次々に出場したレースでリタイアを繰り返し、好成績を修めることはできませんでした。本機を有名にしたのは、メキシコ人パイロット、サラビアの操縦による、メキシコシティを起点とした米国各都市への長距離飛行。一躍名機として航空史に名を残すかと思われた矢先、ワシントンDC離陸直後の墜落事故でサラビアは死亡し、ジービー・シリーズの生みの親、グランヴィル・ブラザーズも会社倒産してしまったのです。ちなみに本機の愛称Q.E.D.とは、ラテン語で「これをもちて証明されたり」という意味の、欧米ではかなりポピュラーな慣用句です。 [Plastic Passion / resin]


Cierva C30 / Norway1934

元祖ヘリコプター。スペイン人Ciervaの開発したオートジャイロです。長い滑走路を必要とせず、空中に静止できる夢のマシンとしてオートジャイロは砲兵隊の着弾観測用に広く世界の軍隊で注目採用されました。しかしこの機械は民間用途としても"空飛ぶ広告塔"として人気を呼びます。日本でも初期型が朝日新聞社に購入され話題を集めましたが、作品ではノルウェイのタバコメーカーが買い取り、自社のたばこMEDINAの宣伝用に飛行させた機体に仕上げました。 [Azur]


Kalinin K5 / Russia 1931

広大なロシアの大地を結ぶために作られたロシア製旅客機。自前の航空技術の遅れから、それまでのロシア民間航空は他国、特に第一次大戦の敗戦国ドイツの技術に頼るところが大でした。こうした状況を打開し自国航空産業の自立をうながすために開発されたおびただしい数のロシア製旅客機の中で、もっとも成功したのが本機です。開発途上では信頼性のおけるエンジンが得られず苦しんだようですが、1930年代にはロシア国内での長距離路線はほぼ本機が独占していました。 [A model]


Breguet XIX "Jesus del Gran Poder" / Spain 1930

「偉大な力のイエス」という、いかにもカトリック国スペインらしい愛称のこの機体は、大西洋を飛び越え中南米の各国を訪問飛行したことで有名になりました。機体そのものはフランスの名機ブレゲー19のスペインCASA社によるライセンス生産ですが、スぺイン空軍の標識を着け、胴体一面に訪問国の民族衣装姿を散りばめた珍しいb塗装は、やはり独特の雰囲気を感じさせます。実機は今でもマドリッドの空軍博物館に保存されています。 [Dujin / resin conv.]


Bucker Jungmeister /Romania 1937

ルーマニアの天才パイロットAlex Papanaが、1937年に米国を巡り数々のアクロバット飛行を披露した時の愛機です。前作ユングマンの大ヒットに力を得たドイツの新興メーカーBucker社が、ユングマンをベースに改良を重ねて作り上げたこの機体は、優秀な操縦性によりあらゆる種類のアクロバット飛行に耐えうるという素晴らしい評価を確立しましたが、Papanaによる米国でのキャンペーンがその名声に一役かっていたことは間違いないと思います。 [Heller]


Bleriot-SPAD 51 /Spain 1935

第一次大戦で名声を博したSPAD戦闘機の系譜は、戦後も受け継がれ、主任設計技師となったエルブモンの手によって、次々と新作が生み出されました。彼の設計の特徴はエンジン周りに主翼の取り付けから操縦席までを集中的にレイアウトしたこと。機体の重心がエンジン近辺に集まることで、小回りの優れた飛行機が出来上がります。この51型は原型の初飛行が1925年ですが、その先駆的なデザインからその後10年以上使われました。今回製作したのは、スペインの飛行学校で1935年頃使われていたもの。熱帯魚を思わせるカラフルな塗装です。 [AZ models]


KHAI-1 / Russia 1933

戦前のロシアの民間機などほとんど知っている人はいないと思いますが、かく言う私も本機についてはキットが発売されるまで全く知りませんでした。一見して金属製モノコックで引っ込み脚の近代的な旅客機ですが、明らかに米国のロッキードオライオンの面影が窺えます。性能的には同クラスの欧州各国の機体とほぼ遜色が無かったようで、この共産ロシアの平和の翼は、大いにスターリンを喜ばせたようです。 [A model]


Junkers G24 /Sweden 1925

第一次大戦直後からの民間航空史での最大のエポックは、全金属製の旅客機が登場したことです。悪天候でも飛行でき、地上では屋外放置されても平気な全金属機は、特に冬季の天候が厳しい北欧市場で一世を風靡することになりました。あらゆるスカンジナビア諸国で広く使われたユンカ-スの"波板金属機"の中でも、1920年代に登場したG24型は、初めて3発エンジンを採用し、その後このシリーズの最終ヴァージョンとして有名な52型に発展する、マイルストーン的な機体です。 [VEB Models]


Lockheed Sirius"Justice for Hungary" /Hungary 1931

鬼才ジャック・ノースロップの手がけたヴェガを後任のゲリー・バルティーが低翼型に発展させたシリウス。その高性能から世界中の飛行家達に争って使われましたが、ハンガリー人による初の大西洋無着陸横断という栄誉は、シリウスのハイライトのひとつです。1931年7月にニューファウンドランドを飛び立ったエンドレツ、マジャールの両クルーによるシリウスは、26時間の飛行の後、見事に母国ハンガリーに到達し、第一次大戦の惨めな敗戦により多くの国土を削減され、失意に沈んでいたハンガリー国民に大きな自信をもたらしたのでした。 [LF Models/resin conv.]

manchuriaJunkers Ju86 /Manchuria 1939

日本の傀儡国家として建国された満州国が、主力機として購入したのが、この空冷エンジン装備のユンカースJu86です。国籍マークは五族協和を意味する五色のラウンデル。それまでのユンカース社のトレードマークであった波板構造からようやく脱却した機体で、本家ドイツでも爆撃機として使われたように、この機種の採用にあたっては、同じことを考えた日本の軍部による強力な後押しがあったようです。 [Italeri]

rws5RWD5‐bis / Poland 1933

第一次大戦の帝政ロシア崩壊により念願の独立を果たしたポーランドでは、目立たないながらも着実に航空産業の育成が進んでいたようです。ポーランド人の操縦によって初めて南大西洋を無着陸横断し、リオデジャネイロに到達するという、同国航空史に残る快挙を成し遂げた歴史的機体。一見何の変哲もない小型機ですが、戦後のスポーツ機にも通じる直線的なデザインが、斬新な印象を与えます。 [Mikro]

Ant25Tupolev ANT25 / USSR 1933

一目見て、何と異様な機体でしょう。いかに長距離記録機とはいえ、これほど長大な翼を必要としたのでしょうか。スターリンの執念ともいえる、北極圏を通って米国へ至る無着陸飛行ルートに始めて成功した本機は、ソ連の航空技術が世界水準から劣っていないことを示した、記念碑的機体ですが、私にはプロペラの付いたプテラノドンにしか見えません。 [Ikar]

Fairley3DFairey 3D / Portugal 1922

名門フェアリー社が英国海軍のために設計した他用途機。堅実な基本設計が効を奏してその後開発された大馬力エンジンを次々に受け入れることで、15年以上に亘って広く現役を努め上げた名機です。モデルは、南大西洋を横断してブラジルへ達するという大飛行を成し遂げ、ポルトガル航空史上最大のヒーローとなった、コウチ−ニョの愛機を再現しています。 [Esoteric /vacuform]

SouthernCrossFokker 3M Southern Cross / Australia 1928

名飛行家キングスフォードスミスが、米国西海岸からオーストラリアまでの南太平洋縦断飛行に使用した機体です。青い胴体に大きく白でSOUTHERNCROSS、目立ちませんが胴体には南十字星も書き込んであります。実物は現在、豪州ブリスベーンに保存されていまして、過日、感激の対面をいたしました。 [Frog]


manchuriaJunkers Ju86 / Switzerland 1934

大型旅客機分野ではドイツNo.1を誇っていたユンカース社ですが、20年に亘って延々と採用してきた波型外板は、さすがに時代遅れとなり、新興ハインケル社の追随を許すようになってきました。その頃登場した、ユンカースが近代的な金属モノコック構造を採用した、初めての旅客機が本機です。航空機にディーゼルエンジンを搭載するという極めて珍しい選択の利点は良く判りませんが、機体の信頼性は高く、ルフトハンザだけではなく、スイス航空でも使われました。 [Italeri]


gat25GAL ST25 Monospar / Spain 1937

英国の無名メーカーであったGeneral Aircraft社が放ったヒット作。航空機の革新的な構造である、片持式低翼単葉を採用した野心的な設計により、日本を含む多くの国で、手軽な民間機として愛用されました。モデルはフランスに買われた後、折から勃発したスペイン内乱により、共和国政府が連絡機として採用したという数奇な運命を持つ機体。Monospar(単桁)という即物的な名前よりは、愛称のJubilee(歓喜)で呼んであげたい、どこかカエルを思わせる、可愛い飛行機です。 [Azur]


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