This room is for the exhibision of the US civil aircrafts during the wars.
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Curtis Hawk P1racer /1934

名門カーチス社はその開発した戦闘機にHawk(鷹)の名前を代々襲名させていますが、この機体P1はその初期の代表作です。軍用のみならず民間でもいくつかのHawkが活躍しましたが、今回作成したのは派手なアメリカンカラーを纏った競争機。 この機体はイベント参加のためキューバへ赴く飛行中に、不運にもカリブ海上で行方不明となり失われました。[Olimp /resin.]


Boeing 247 "Warner Brs.Comet"/ 1934

米国の著名な飛行家ロスコー・ターナーが1934年のマックロバートソンレースに参加した時の機体です。このレースは豪州のチョコレート王として財を成したマックロバートソンがスポンサーとなって、英国から豪州メルボルンまでの長大な距離を翔破するという過酷なレースでしたが、ターナーは当時最新鋭の旅客機として評判の高かった本機のキャビンにガソリンタンクを積み込みレースに参戦しました。この企てのメインスポンサーだった映画会社ワ−ナーブラザースの名前にコメットの名前を胴体に大書きした機体は、途中でいくつものトラブルに遭遇しながらも見事にメルボルンに到達。しかしトップの座は奇しくも同じコメットと名づけられた英国デハビランド社のDH88型にさらわれてしまったのです。[Williams.]


Curtis Hawk "PANAM"/1934

カーチス社の大ヒット作、Hawkシリーズは複葉戦闘機としての最高峰と謳われ、米国陸海軍を始め各国で採用されましたが、民間でも活躍した機体があります。その一つが当時のパンナムで郵便機として使用されたこの機体。鮮やかなブルーグリーンのパンナムカラーを纏ったホークはなかなかの趣です。[Esoteric / vacuform conv.]


WACO YPF7 "Wanderer" /1939

1920年にオハイオ州トロイで創立されたWACO社は、民間の複葉機を作り続けた航空メーカーです。これといったヒット作は無く、記録飛行とも無縁な機体ばかりを製作したため、現在ではほとんど忘れられた存在です。しかし1920年代から30年代にかけては、それなりに知られた会社でした。それは奇をてらわない堅実でそつのない設計により生み出された信頼性の高い複葉機が高い評価を獲得したためです。しかし航空機の技術革新が進んだ1930年代後半になっても相も変わらず同じような機体を次から次に市場に投入したことで同社はすっかり時代の波に乗り遅れてしまいました。第二次大戦が終了後、一気にその退勢を取り戻そうとして発表した異様なフォルムの単葉機"アリストクラフト"の大失敗により、同社は消滅することとなります。 [Alliance / resin conv.]


Lockheed Vega "STANAVOeagle" / 1931

ロスアンジェルスの田舎航空機メーカーであったロッキード社に最初の飛躍をもたらした名機、ヴェガです。全木製モノコック胴体に支柱を持たない片持ち式上翼形式のフォルムは極めて美しく、たくさんのパイロットに愛される機体でした。中でもスタンダードオイル社がその主力製品である航空エンジンオイルの宣伝のために使用した機体は、全身を飛翔する白頭鷲に見立てた印象的な塗装が施されておりインパクト抜群です。[MPM]


Beech 17S Staggerwing / 1932

複葉機の上翼が下翼よりも後退した位置に配置されるのは、悪性の失速をもたらすとして航空機デザインの禁じ手でした。その欠点に敢えて挑んだ本機は、そのクリーンな姿態と完全引込み脚などの新機軸により目覚ましい高速性能を発揮してヒット作となります。その後のビーチ社の発展を約束した記念すべき第一作となりました。[Meicraft]


Lockheed Electra L12 Junior/ 1936

本機の原型となったLockheed Electra Model10は、ライト兄弟以来の脈々とした航空技術の発展の積み重ねによりついに到達した、アメリカ航空史における最高傑作のひとつとも言える機体です。全金属構造で双発、脚引込み装置を備えた、その後の旅客機における基本的な要素を全て満たしたとも言えるエレクトラの出現により、米国の航空機開発技術は世界のリーダーの地位を獲得しました。そのModel10を一回り小型にして短距離路線用の旅客機ニーズに応えようとしたのが、このModel12です。[SpecialHobby]


Fokker IIV 3m "Josephine Ford" / 1926

米国海軍少将バードが北極点への到達を目指した探検に使用した飛行機です。探検隊のスポンサーが自動車王ヘンリーフォードの息子エドセルであったことから、このフォッカー三発機にはエドセルの娘で当時三歳であったジョセフィンの名前が与えられました。バード探検隊は1926年5月に北極点到達に成功。使用された本機もベストセラーとなり世界中の航空路線で活躍することになります。機体中に描かれた"FOKKER"の名前がそのプロモーションに大きな貢献を果たしたであろう事は想像に難くありません。実物はデトロイトのフォード博物館に展示されています。[Valom conv.]


Fairchild FC2W / 1931

この機体を設計した人物フェアチャイルドは、元々航空測量などを行う写真家でした。大型の航空カメラを搭載する適当な機体がないことから、自身でそのための機体を設計製作しようと思い立ったところからこの航空機会社はスタートしています。最初の機体FC1が高性能を示したことから、発展型として6席の座席を持つ旅客輸送機として開発。その堅牢な機体構造とワスプエンジンの信頼性により、FC2型は多用途機として高い評判を勝ち取りました。バード少将による南極探検隊でも本機はStars & Stripes号として活躍し、一躍脚光を浴びています。[Khee Kha / vacuform]


Curtiss Jenny "The Fish" / 1928

航空黎明期の米国で最初の大ヒット作となったカーチス社のJN4型は、その形式名から連想する女性の名前ジェニーの愛称をもらい、1920年代を通して広く使用されました。広大な米国を結ぶ航空郵便網で活躍した他、当時人気を集めた航空ショウの主役としても。バーンストーマーズと言われた危険な航空曲技ショウには、安価で信頼性が高い本機は格好の機材だったのです。[Pegasus]


Curtiss R2C1racer /1923

第一次大戦後まもなく始まった航空機によるスピードレースは、世界中を熱狂させる大イベントとなりましたが、中でも米国での草分け的存在は、1920年から5年間にわたって開催された、ピュリッツァートロフィレースです。1923年の優勝により、この機体は名機ジェニーの大成功で意気上がるカーチス社の名声をさらに押し上げる貢献をしました。同年には本機の水上機型CR3が最も権威のある大会であったシュナイダー杯にも優勝しています。[LF Models / resin]


Grumman G22 Gulfhawk / 1936

米国海軍最後の複葉戦闘機F3Fの民間型です。ガルフ石油の航空機部長A.J.ウィリアムスが、グラマン社が当時開発中のF3Fをスポーツアクロバット機として使用するため、主翼を縮めて高速化を目指した機体を発注したことで、本機は誕生しました。期待にたがわず複葉機特有の繊細な運動特性を誇った機体で、エンジン馬力の余裕もあり、搭乗したパイロットを魅了した名機です。[Pegasus conv.]


Bellanca "Liberty"/ 1931

欧州の各地からアメリカに渡った多くの移民の中にも、飛行家を目指す若者たちがたくさんいました。当時の大西洋横断飛行のブームは、こうした移民出身の飛行家たちに、アメリカから空路で自分の父祖たちの母国に帰還するという冒険飛行の夢を植え付けたのです。そんな中にドイツとデンマークをそれぞれルーツとする、Otto Hillig, Holger Horiisの二人組がいました。彼らは当時評判の良かったベランカ機に搭乗して1931年にNYを出発。6月24日にニューファウンドランドから大西洋無着陸横断に挑みました。32時間の横断飛行は成功。彼らはドイツとデンマークへの凱旋を見事に果たしたのです。
使用されたベランカ機の胴体には、愛称のLIBERTY(自由)とアメリカ、デンマークの国旗が誇らしげに描かれています。[DORA Models]


Seversky P35 "Jacquiline Cochran" / 1938

米国陸軍航空隊で採用された初めての低翼単葉、主脚引込式で密閉風防を持つ近代戦闘機です。ロシアからの亡命者であるアレックス・セバスキーによって開発された本機は、その革新的な技術で世界にセンセーションを巻き起こし、老舗のカーチスが開発したP36との開発競争を制して、陸軍の制式機としての採用を勝ち取りました。日本も研究用に購入し、構造を徹底的に学習。名機零戦の設計思想にも多大な影響を与えています。1930年代、アメリア・イアハートと並んで有名な女性飛行家であったジャクリン・コクランが、1938年のBendixレースで見事に優勝する、という快挙を成し遂げたことも、本機のエピソードです。[MPM]


Travel Air R "Mysteryship TEXACO13" / 1930

1929年の全国エアレースで優勝したレーサーですが、翌年の米国横断記録も本機の持つ輝かしいレコードです。石油会社TEXACOの企業パイロットだったFrank Hawksが、西海岸から東海岸までを当時としては驚異ともいえる12時間25分で翔破し、その登録ナンバー1313(欧米では不吉な数字とされる13がつながっている)と共に強烈な印象を航空史に残した機体となりました。[Dekno Models / resin]


Laird "Super Solution"/1931

1930年のトンプソンレースで彗星のように現れ優勝した前作"Solution"のパワーアップ型として、名パイロット、ジミー・ドゥーリトルのために製作されたのが、本機Super Solutionです。期待どおり1931年のヴェンディックスレースに搭乗し見事に優勝。おそらく最後の複葉レーサーとなりました。流線形のスパッツが特徴的で、いかにもアメリカ的なフォルムが印象的な機体です。[Dekno Models / resin]


Gee Bee Z / 1931

史上もっとも危険なレーサーと言われた一連のジービー機の最初のデヴュー作。トンプソンレースでの優勝を期して開発され、見事にタイトルを勝ち取ったことで一躍世界に知られる存在となりました。思い切りコンパクトにした寸詰まりの胴体に大口径の空冷エンジンを搭載。フェアリングを強調した短い羽布張りの主翼と大きく特徴的な主脚スパッツ。一目で強烈な印象を与える基本設計は、この機体から始まり、その後のRシリーズ、QEDにまで受け継がれる同社の変わらぬコンセプトとなったのです。[Dekno Models / resin]


Bellanca CF300 "Cape Cod" / 1931

リンドバーグとRyan NYPの奇跡的な大西洋横断の成功によって、航空史に残る名機としての座は勝ち得なかったものの、1930年代初頭において最も信頼と実績のある長距離機として高い人気を誇っていたのが、このBellancaでした。数々の冒険パイロットによる大西洋横断の中でも、1931年にニューヨークから一気にトルコのイスタンブールまで、世界で初めて5000マイルを超える距離を無着陸で飛行したベランカが、"ケープ・コッド"です。アメリカ東部マサチューセッツ州にあり、大西洋に突き出た形のケープ・コッドは、ニューヨークを飛び立ち欧州を目指すパイロット達が必ず上空を通過する目印となる岬でした。この岬を後に死と隣り合わせの危険な洋上飛行に出て行った彼らにとっては、特別な感慨を抱く場所であったと思われます。その地名"Cape Cod"を命名され、胴体に大きくその地図を描かれたこのベランカ、特徴的な主脚スパッツも印象的です。[DORA Models]


Gee Bee Model R1/R2 hybrid / 1934

その強烈なスタイリングと名パイロット、ドゥリトルによるレース優勝によって一躍有名機となったジービーですが、安定性に問題のある危険な機体であることはデビュー時から指摘されていました。1933年のベンディックス競技会で事故墜落してパイロットを殺したことから、製作者のグランヴィル兄弟も設計変更を決意。原型であるR1型の操縦席後方を18インチ延長することによって縦安定の改善を試み、主翼は事故で破損したR2型のものをそのまま転用して出来上がったのが本機です。レースパイロット、セシル・アレンに売却されたこの機体は、1934年のレース前に設計者の警告を無視したガソリンタンクの延長改造が行われたため、テイルヘヴィの状態となり、離陸に失敗して失われるという不幸な結末となりました。[A Model conv.]


Northrop Gamma Ellsworth ll / 1935

シカゴ生まれの鉄道・鉱山技師リンカーン・エルスワースが、当時まだ未知のフロンティアであった南極地方の横断飛行に使用した機体です。全金属製片持ち単葉で一切の支柱を廃し密閉式の風防を持つ革新的なスタイルの本機は、鬼才ジャック・ノースロップの設計によるもので、出現と同時に米大陸横断のスピード記録を打ち立てセンセーションを巻き起こしました。エルスワースはこのGammaを極地飛行用に複座とし、公園のベンチのように主翼上に突き出ていた補助翼を通常の形に改めるなどの改造を施しました。1935年11月にスタートしたこの冒険飛行は、悪天候や機体トラブルにより何度も不時着を余儀なくされましたが、5週間を費やして何とか成功しています。[Williams]


Martin M130 "China Clipper" / 1935

米国が世界的に航空路を拡げようと、アジア路線に投入した当時の最新鋭飛行艇。パンナム社の期待を担って誕生した本機は1935年にサンフランシスコからフィリピンまでの4泊5日の飛行を成功させ、太平洋路線の商業飛行を現実のものとしました。同機は合計で3機のみ製作されていますが、その第一号機がChina Clipperと命名されています。19世紀に英国がアジアとの茶貿易で使用した快速帆船の愛称です。[ANIGRAND / resin]


Fokker C4a "Pacific Era" / 1930

第一次大戦でドイツのために多くの戦闘機を作ったオランダ人、アントニー・フォッカーが、ドイツの敗戦後、新天地アメリカで製造した機体。シルエットから明らかなとおり、基本デザインはあの名戦闘機フォッカーD7をほぼ踏襲、全体的に大型化して後部に乗客席を設けてあります。この旧い機体が1930年に米国から日本への冒険飛行に使われたのは驚きです。ワシントン州タコマからアラスカ・カムチャッカを経て東京へ至るルートで出発したものの、直後にトラブルに見舞われ、わずかバンクーバー付近まで飛行したところで敢え無く企図は挫折しました。現在そのレプリカがメイン州の航空博物館に保存されています。[OMEGA Models / resin]


Lockheed Orion, "Varney Airlanes"/ 1934

1920年代の後半から米国の航空界で一世を風靡した、ロッキード社の"星"シリーズ。ヴェガ、シリウス、アルテアに続く単発高速旅客機がこのオライオンです。名機ヴェガの基本設計を受け継いだ独特の丸みを帯びたフォルムはそのままに、出現当時、米国陸海軍のどの飛行機よりも高速な旅客機ということでセンセーションを巻き起こしました。たちまち航空会社からの発注が殺到し一躍スターとなったのもつかの間、ノースロップ・デルタ同様、単発機で操縦士が1名だけという構造もあって、米国内での旅客業務からは法的に締め出されるという残念な運命となりました。[Special Hobby]


Northlop Delta / 1933

鬼才ジャック・ノースロップの設計した全金属製低翼単葉機、アルファから始まる一連のシリーズの最後のヴァージョン、デルタです。前作ガンマの翼組をそのまま使い、乗客8人を密閉キャビンに収容する高速旅客機として胴体を拡張再設計した野心作でした。しかしデヴュー直後の米国の航空法改正により、単発機による夜間や不時着の困難な山岳地域でのの旅客運搬が禁止とされたことで、当機は実質的に旅客機としての活躍の場を失うことになりました。このため生産数は19機と商業的には失敗に終わりましたが、その先進的な設計は世界中の航空エンジニアの注目を集めたとされています。[Azur]


Bellanca "Miss Veedol" / 1931

イタリアから移民して米国籍を得たジュゼッペ・ベランカが設計したベランカ・スカイロケットは、良好な視界を持つ完全密閉型のコックピットを有する長距離機として、同時代では最高の優秀機として折り紙つきの機体でした。かのリンドバーグも大西洋無着陸横断計画にはベランカ機を何とか手に入れようと試みたのですが叶わず、やむなく無名のライアン社に駆け込んだというエピソードがあります。リンドバーグの愛機として名機の仲間入りすることは出来なかったものの、世界中のパイロットがこぞって本機を大冒険飛行に使用しています。その中で、米国人パングボーンとハーンドンの両名による世界初の太平洋無着陸横断飛行は本機のハイライト。追加の燃料タンクのために下腹を大きく膨らませたベランカ改造機は、青森県の淋代海岸を離陸し主脚を切り離した後、41時間かけて太平洋を横断。米国ワシントン州ウェナッチに胴体着陸したのです。現在、三沢市の博物館には本機の実物大レプリカが保存展示されています。[Khee-Kha Art Products / Vacuform conv.]


Douglas DC2 / 1934

ダグラス社が世界の民間航空のトップランナーとなる礎となった機体。全金属製、低翼単葉双発で引込式の主脚という、その後の大型旅客機の基本スペックを確立した、航空史でも重要な翼です。
大日本空輸で使用した機体はすでに作成していましたので、今回は本家アメリカの航空会社PANNAMの塗装にしました。同社が南米定期ルート開拓の機材として採用し、パナマを起点にペルー、チリを経て、最大の難所アンデス山脈を越え、アルゼンチンのブエノスアイレスまで到達する、当時としては画期的な長距離路線に就航した機体に仕上げています。[MPM]


Curtiss Jenny "Lillian Boyer" / 1921

米国最初の大ベストセラー機となったカーチスJN型は、第一次大戦に中途から米国が参戦したことから製造された練習機です。発注された膨大な数の本機は戦後の米国に溢れ、軍用のみならず格安で民間に払い下げられ、あらゆる分野で活躍することとなりました。中でも当時の米国で大人気を博したのが、バーンストーミングと称された空中曲芸。飛行性能が素直でコストも安い本機は、JN型から連想されるJennyという愛称で多用されます。このバーンストーミングで1920年代を通じて一世を風靡した女性曲芸師、Lillian Boyerの乗機を作りました。[Olimp]


Stinson Reliant SR9 / 1936

米国ミシガン州を本拠としたStinson社が開発した小型機。民間企業の社有機や近距離の旅客機として広く活躍した他、飛行学校の練習機や軍用の連絡機としても長く使われました。モデルは後期型のSR9ですが、テーパーの強い独特の形状の主翼が特徴です。[Dekno Models / Resin]


Boeing model200 "Monomail"/ 1930

それまでの複葉翼組みに固定脚という常識を大きく打ち破った革新的な航空機として誕生したのが本機。ボーイングと言えば現代の世界の空を支配する超巨大航空機メーカーですが、本機こそが、シアトルの田舎飛行機会社が世界に飛躍するきっかけを作ったルーツとも言える作品です。この時期のアメリカ機の発展をささえていたのが、欧州では開発の遅れていた優れた空冷大馬力エンジンの出現です。この機体を眺めても、図体の馬鹿でかさに比べてエンジンの小ささが良く分かりますが、新機軸を盛り込むことでドンドン巨大化し重くなっていった機体なのに、成功した最大の理由はエンジンの優秀さに負っているのだと思います。[Dekno Models / Resin]


Art Chester "Goon" / 1939

1920年代から30年代にかけて、全米で熱狂的な人気を博したエアレース。戦前ではそのほぼ最後を飾るレース機となったのが、この"Goon"です。前作の"Geep"と共にアニメ"ポパイ"のキャラクター名をもらった本機は、小さな翼にほとんどエンジンと燃料タンクだけの極端にそぎ落とされた胴体の、見るからに危険なマシンです。1939年のNational Air Raceで時速424q/時を出して優勝しました。[Dekno Models / Resin]


Gee Bee R6H "Q.E.D" / 1938

ビア樽のような強烈なスタイリングで有名なジービー・レーサーの最後となった機体。劣悪な安定性で極めて危険であったそれまでの機体から、機体全長を延長することで縦安定を改良し、実用性は向上しました。しかし本来のレーサーとしては、1934年のベンディックスレースを皮切りに次々に出場したレースでリタイアを繰り返し、好成績を修めることはできませんでした。ちなみに本機の愛称Q.E.D.とは、ラテン語で「これをもちて証明されたり」という意味の、欧米ではかなりポピュラーな慣用句です。[Plastic Passion / Resin]


Boeing 80A / 1929

シカゴ・サンフランシスコ路線の順調な経営と旅客の増加に対応するため、一気に12人乗りの本格的な3発旅客機として開発されたのが、この80A型機です。路線の経由地はどれも山岳地帯で飛行場の状態があまり良くないことから幅広の低圧タイヤを履いていますし、天候の変わりやすい地域を飛行するため、敢えて保守的ながっちりとした複葉スタイルで設計されています。世界で初めて女性スチュワーデスを乗せて飛んだことでも有名な機体です。この機体こそが、ジャンボジェットに代表される現在のボーイング社の旅客機群の元祖的な存在であることを思うと感無量。実物はボーイング本社のあるシアトルの航空博物館に保存されています。[Broplan / Vacform]


Boeing 40B / 1925

現在では世界最大の旅客機メーカーとして、欧州のエアバス社と世界シェアを2分するボーイング社ですが、この機体がその草分け。わずか4名の乗客を乗せてシカゴ・サンフランシスコを結ぶ路線のサービスを始めました。このときはまだボーイング社は飛行機製造とともに旅客業もやっていたんですね。現在のUnited Airlineです。[Czeck Master Resin/ resin]


Consolidated Model17 Fleetster / 1930

1923年にニューヨーク州バッファローで創立されたConsolidated飛行機会社は、1920−30年代にかけて飛行艇分野で優秀な機体を開発した会社です。同社がNYから南米への定期飛行ルートのために開発を依頼されて作り上げたのがこの機体。アメリカ大陸の沿岸コースをたどって、リオやブエノスアイレスまで足を伸ばす長距離ルートで活躍しました。いかにもトロピカルムードの塗装が楽しい機体です。[DEKNO Models/ resin]


Howard DGA6 "Mr. Mulligan"/ 1934

米国西海岸から中西部オハイオ州クリーブランドまでの長距離レースとして人気の高かったBendixレース。このレースに優勝するために設計され、本当に優勝してしまったという、当時の米国でとても人気の高かった機体です。レース機の割には、主副操縦席に加えて後部に2人分の乗客席を持つゆとりの設計ですが、これはひとえに当時の最新空冷エンジンWaspを搭載できたための余裕馬力によるものです。[DEKNO Models/ resin]


Laird LC-DW "Solution" / 1930

1930年のトンプソンレース出場のために製作された"Solution(解決策)"という名の競争機です。本機はデビューと同時にトンプソンレースでいきなり優勝して見事な"解決策"を世に示しました。その後、設計者のLairdは、エンジンをパワーアップしたSuper Solutionを作り上げて、名パイロット、ドゥーリトルの操縦によりベンディクスレースでまたも優勝という成功を勝ち取りました。しかし時代はそろそろ複葉機の時代が終わりを告げようとしていた頃、本機は流星のような一瞬の輝きを残して引退となります。[DEKNO Models/ resin]


Fokker C2 "America" / 1927

大西洋無着陸横断によるニューヨーク・パリ連絡飛行の最初の栄誉は、無名の飛行士チャールズ・リンドバーグにさらわれたものの、大本命と見倣されていたバード中佐もその企てを中止することはありませんでした。リンドバーグの快挙から1ヶ月後、バード中佐他3名の乗り込んだ本機はニューヨークを出発。単なる冒険飛行ではなく、世界最初の"ニューヨーク・パリ間郵便輸送飛行"と銘打ってのチャレンジです。結果はフランスまでは何とか到達したものの、方向を失いパリの手前のブルターニュ海岸へ緊急着陸。成功なのか失敗なのかよく分からない微妙な結末でした。[Valom/ Broplan conv.]


Northrop Alpha4 / 1932

鬼才ジャック・ノースロップが開発した高速旅客機。革新的な全金属製の機体で主翼後縁にフィレットを採用することで空力特性を大幅に改善し、その後の航空機開発の基本設計の先駆となりました。この機体はTWA航空会社によって米国の東海岸と西海岸を結ぶ大陸横断郵便路線に採用され活躍します。いかにもアメリカっぽく丸々と太った胴体とズボンスパッツが特徴で、この特徴は後継機のガンマ、デルタまで引き継がれるノースロップ社のトレードマークとなりました。[Dekno Models / resin]


Curtiss R3C-2 Schneider racer / 1925

水上機レースのワールドカップとして最も高い権威と人気を誇ったシュナイダーレースで、1925年米国に連覇となる優勝をもたらした機体。地元米国のバルチモアで見事に優勝したのは、名パイロット、ドゥーリトル。コンパクトにきりりとまとまった姿は、確かに高性能を予感させますが、視界は劣悪、安定性もかなり悪そうで、極めて操縦の難しいマシンだったと思います。[Czech Master / resin]


Kiethrider R3 Marcoux-Bromberg Special / 1936

本機は1934年に原型が製造され、その後、より大馬力のエンジンに換装を重ねて、いくつかのヴァリエーションがあります。モデルはワスプ550馬力エンジンを搭載し、1936年のトンプソンレースで2位に食い込んだMarcoux-Bromberg Specialと呼ばれた機体。大馬力エンジンを後から取り付けたため、機体とのラインが全くマッチせず異様に頭でっかち。全体フォルムは無骨ではっきり言って不細工ですが、派手な塗装で楽しいヒコウキです。[DEKNO Models / resin]


Laird-Turner LT14 Meteor / 1939

戦前の米国レース機の系譜の中で、ほぼ最後を飾る機体。1938年のトンプソンレースで時速456kmを出して見事に優勝した後、スパークプラグメーカーのChampion社に買い取られ、胴体にデカデカと広告の書き込まれた"Miss Champion"。現物は現在米国ワシントンの航空博物館に展示されています。[DEKNO Models / resin]


Wedell-Williams 44 /1931

名レーサーパイロットJimmy Wedellが開発に参加し、数々のレースで活躍したマシンです。大直径の大馬力空冷エンジンを装備したことから、レーサーとしてはかなりの大型機ですが、ライバルのジービー機に比べても胴体が長いため、縦安定ははるかに良好でした。1933年のシカゴ国際レースに優勝し、時速300マイルを初めて超える世界記録を樹立しています。[DEKNO / resin]


Steve Wittman "Chief Oshkosh" / 1931

アメリカの片田舎ウィスコンシン州のドイツ系移民であるSteve Wittmanが自身で製作し操縦した"Cheif Oshkosh(歴史的に有名なインディアンの酋長の名前)"は軽量エンジンでも十分に余裕馬力を確保できるように、機体はまるで模型飛行機のように華奢で、おそろしく主翼面積を切り詰めて高速化を図ろうとしています。Wittmanはこの基本形式を踏襲しつつも、毎年モデルチェンジを行ってレースに参加し、その開発は戦後にも永く続きました。本機はその長い開発の系譜の記念すべき第一作です。[Karaya / resin]


Cessna CR3 / 1933

セスナと言えば、戦後、民間軽飛行機の分野で超有名になったセスナ172シリーズの名前が浮かんできます。そのセスナ社が1930年代の初めに、名パイロット、ジョニー・リビングストンのためにレーサーとして開発したのが、このCR3型です。高翼単葉でなんと引っ込み脚。主翼は小さく、その形はまるで昆虫の羽のようです。かなり野心的で当時としては相当危なっかしい設計ですが、デヴューと同時に多くのレースで好成績を挙げ、1933年のシカゴ・レースでは見事に優勝を飾りました。しかしこの年、セスナ社は倒産。社長で設計者でもあるクライド・セスナは引退を余儀なくされます。[DEKNO / resin]


TravelAir R "Mystery Ship"/ 1929

戦前の米国では飛行機レースが大変な人気となり、星の数ほどの中小メーカーがレーサー作りに参入。カンザス州ウィチタに本拠を置くトラベルエア社もそうした零細飛行機メーカーのひとつでした。同社の名前を一躍有名にしたのが、この出世作、R型ミステリーシップです。1929年のナショナル・エアレースに彗星のように登場して優勝を飾り、一大センセーションを巻き起こしました。
ライト空冷450馬力エンジンをすっぽりとカウリングで覆い、ワイヤで支持された単葉スタイルですが、バランスのとれた美しいフォルムです。
[DEKNO / resin]


Fairchild91 "Kono"/1936

オデコにプロペラを付けたようなユニークなデザイン。もともとは戦前のパンナムが注文した小型の旅客飛行艇です。肝心のパンナムは採用前にキャンセル。仕方なくフェアチャイルド社は軍用として一部設計変更して売り込みを図ったのですが、結局は7機の生産で終了しました。わが日本海軍も一機をテスト用に購入しています。民間型として使用されたのが、今回製作したモデルですが、米国自然史協会のメンバー、アーチボルト博士が、ニューギニアで探検用に使ったもの。愛称の"Kono"は、ニューギニアに生息する野生のアヒルの名前だそうです。[Sword]


Pitcairn PCA2 autogyro / 1931

滑走路なしに離着陸でき、空中での静止も可能な飛行機は、航空史における人類のもうひとつの夢でした。1930年初頭に米国で開発実用化された本機は、まだ通常の飛行機とヘリコプターの中間的なスタイリングを持っています。こうした回転翼機が極めて珍しかった時代、効果抜群の広告媒体として活躍することになりました。モデルは胴体にでかでかと点火プラグのコマーシャルが書き込まれています。[LF Models resin]


Dayton Wright RB racer / 1920

1920年のゴードン・ベネット杯参加のために開発された、野心的な競争機。世界初の引込み式車輪機構や翼全縁フラップを搭載した新機軸の飛行機ということで、航空史的には重要な機体なのですが、肝心のレース機としてはひとつも活躍していないという、どう評価して良いのか分からない飛行機です。実機は米国デトロイトのフォード博物館に展示されています。[12Squared]


Brown B2 racer / 1934

スピードとスリルを求める米国民の熱狂的な支持を受け、レーサー機は零細ヴェンチャー企業ばかりであった飛行機メーカーにとって、格好の開発目標となりました。レースで一度優勝すれば、一躍全米中に会社が有名になるだけでなく、スポンサーも付き、大金が稼げる、ということで、安全性リスクを度外視した危険極まりないマシンが続々と開発されたのです。本機もそうしたもののひとつ。ただしこの赤い衣装をまとった細身のフライングマシンは、比較的良好な飛行特性を有していたようで、1934年のトンプソントロフィーレースで2位に入る健闘を果たしました。[Karaya / resin]


Lockheed Air Express "Gilmore" / 1929

名作、ヴェガの発展型として製作されたAir Expressはパイロット席を思い切って後ろに移し、主翼を胴体から離して持ち上げるパラソル形式を採用しました。この改造型ヴェガはわずか8機しか製造されませんでしたが、ギルモア石油の保有した1機は、世界的にも有名な飛行機になりました。それは航空機を広告媒体としてフルに利用しよう、との企図から、当時著名なパイロット、ロスコー・ターナーにペットとしてのライオンの子供を搭乗させ、"空飛ぶライオン"のイメージを世界中に喧伝したためです。ターナーはこの赤ちゃんライオン"ギルモア"を乗せて、米国中の都市を飛び回り、いくつもの区間スピード記録を塗り替えました。[Planet Model / resin]


Sikorsky S38 / 1933

大西洋横断機S35の惨めな失敗の後、再起を図るシコルスキー技師が狙ったのは、飛行艇の分野でした。出来上がったのは、まさにフライング・ボートと言うべきスタイリングで、ソファーのある豪華な内装の胴体キャビンはボートそのもの。映画"Aviator"で主人公ヒューズの愛機として登場しましたね。当時の大金持ちの道楽用としては、こんな魅力的な乗り物も他に無かったんじゃないでしょうか。ゼブラ模様に胴体を塗ってアフリカ探検に出かけたり、当時だと命がけの大西洋横断なのに、幼い子供連れのファミリー冒険飛行に使われたり、と何となく浮世離れしたエピソードの多い機体です。[CM Resin / resin]


siriusLockheed Sirius float plane /1931

前作ヴェガのセンセーショナルな成功によって新興航空機メーカーとして一躍注目を浴びたロッキード社が放った第二弾、シリウスです。木製合板の基本構造は前作ヴェガを踏襲し、主翼、尾翼、垂直尾翼はほとんどそのままに低翼単葉形式にしたもので、明らかに前作ヴェガの弟分です。信頼性の高い空冷エンジンに恵まれて、ヴェガ同様に上々の評判を取得。日本では何といっても、リンドバーグ夫妻が搭乗して日本へ飛来した水上型"ティングミサルトック号"(エスキモーの伝説に出てくる、翼を持った少年の名前)がもっとも有名でしょう。実物はワシントンのスミソニアン博物館に保存されており、私もずっと作ってみたかったアイテムです。 [LF Models /resin conv.]


bellancacolumbiaBellanca WB2 Columbia /1927

大西洋無着陸横断飛行に見事に成功しながら、わずか2週間リンドバーグに遅れただけで、ほとんど後世の記憶に残らなくなった不運な機体がこのべランカです。
その後数々の長距離冒険飛行に多用され、当時のパイロット達には大変評判の良かったべランカですが、模型の世界でもその不人気は不思議なほどで、知る限りべランカ社の飛行機がキット化された事例は全くありません。
歴史にも模型界にも忘れ去られたべランカ機を、最近、アラスカ在住のマニアが作ったヴァキュームキットを入手しましたので、早速作ってみました。
[Khee-Kha Art Products/vacuform]


amelias vegaLockheed Vega 5 /1932

ロッキード・ヴェガを製作したのはこれが2機目ですが、本当にきれいな飛行機だと思います。胴体と尾翼の丸々としたシルエットと直線的な主翼のコントラストが絶妙で、少しも違和感が無く、空を飛ぶ楽しさを形に表わすと、こういうフォルムになるのではないでしょうか。
女性として初めて大西洋の単独無着陸横断に成功した、アメリア・イアハートの「真紅のヴェガ」をモデル化しました。
[MPM]


fokkert2 Fokker T2 /1923

ゴム動力の模型飛行機をそのまま大きくしたような姿。操縦席は左にオフセットされ、その分プロぺラ軸が右寄りにずれている、という不思議な設計。胴体にいくつも開いた楕円形の窓も印象的。極めてユニークなこの飛行機は、実は米国大陸の東海岸から西海岸まで、史上初めて無着陸で横断したという、航空史に残る栄光の翼なのです。実機はワシントンのスミソニアン博物館に大切に保存されています。 [VLE Models /vacuform]


vultee Vultee V1-A /1934

ロッキード社から独立した気鋭の設計者ジェラルド・ヴァルティーが、時代の最先端の技術をふんだんに盛り込んで、世に送り出した高速旅客機。アメリカン・エアラインがまとめて20機買ってくれるなど、出だしは素晴らしかったのですが、既に大量輸送時代を迎えようとしていたアメリカでは、やはり単発機では苦しく、ヴァルティー社自身もその後大きく発展することはありませんでした。革新的な技術もマーケティングが拙いと不成功に終わる典型例。 [Azur]


kriderKeith Rider R4 Firecracker / 1938

まるでラジコン機のようなスタイル。ファイアクラッカー(爆竹)というニックネームを持つ、この競争機は、1930年代に隆盛を極めた、米国のエアレース業界が生み出した危険極まりない恐怖のレーサー群の一つです。たった250馬力のメナスコエンジンで、時速400Kmを超える高速。1939年のトンプソンレースで2位に食い込んだのが、本機のハイライトでした。 [LF Models /resin]

GBGB Super Sports star / 1932

一度見たら忘れられない強烈なスタイル。競争機として開発されたジービーは、航空機としての安全性を全てかなぐり捨て、ひたすらスピードを追求した、恐怖の設計哲学に基づくモンスターマシンです。1924年以来フランスのベルナール機が保持してきた世界速度記録を、8年ぶりに更新。とにかく名人パイロット、ジミ・ドウリトルの腕前で幾多のレース大会での優勝はかざれましたが、その後相次ぐ墜落事故により、製造会社もろともあっという間にこの世から消え果てた機体でした。 [Classic plane]

T32condor Curtiss T32 Condor / 1933

本機はその名から推測出来るとおり、もともとは軍用機として開発されたのですが採用されず、窮余の策として旅客機に改造されたものです。アメリカン航空が本機を導入したわずか9ヶ月後には、革新的なボーイング247が就役しており、瞬く間に時代遅れとなりましたが、安全性・経済性に優れた旅客機として意外に根強い人気を保ちました。肥満したイルカのような胴体にオレンジ色の長大な二枚翼が印象的です。 [Formaplane /vacuform]

stinsonStinson Model-A Trimotor / 1934

民間機の分野でデトロイターという成功作を発表して一躍注目されたスティンソン社が開発した高速旅客機。この分野はフォッカー3発機に続いてフォードがやはり同型機を投入したことで3発エンジンが主流になっていましたが、本機の開発時にはそろそろ信頼性の高い大馬力空冷エンジンが誕生するタイミングでもありました。その流れを読みきれず、折角低翼単葉の革新的なデザインを採用しながら、従来どおりの低馬力エンジンを3発使ったことで、本機はあっという間に時代に取り残されていく運命に陥ります。航空機デザインの判断の難しさを感じさせる好例。 [Aircrafts in Miniatures /vacuform]

curtissr3cCurtiss R3C / 1925

水上機レースの最高峰、シュナイダーレースで優勝したアメリカの誇り。東京空襲で勇名を馳せたドゥーリトルの愛機としても有名。競争機としての性格上、安定性を犠牲にして、小さな翼と短い胴体を組み合わせたコンパクトな姿態ですが、操縦は極めて難しかったに違いありません。映画"紅の豚"で、敵役ドナルド・カーチスの乗機として登場したことでも有名です。 [Merlin]

dc3 Douglas DC3 / 1935

従来の商業旅客機の常識を覆した高性能とコストパフォーマンスで、1935年の出現以来、世界中のエアラインが競って導入、まさに一世を風靡した航空史上の大ベストセラーが本機です。おりから始まった戦争にも軍用型として駆り出され、作りも作ったりで、各国のライセンス生産も合わせると計15千機。一機種でこれだけ生産された民間航空機というのは、もう二度と現われないのではないでしょうか。モデルは、出現直後にアメリカン航空で就航した、寝台席付きの米大陸横断路線便の一機です。 [Italeri]

dwc Douglas DWC World Cruiser / 1924

歴史上初めて世界一周を成し遂げた、記念碑的機体。米国が一気に航空一流国に仲間入りしたことを証明した本機は、今もワシントンのスミソニアン博物館に誇らしげに翼を休めています。無骨で頑丈一点張りの、お世辞にも格好良いとは言えない飛行機ですが、機械的信頼性の高さこそが、その成功の鍵でした。それにしても巨大な飛行機で、本キットの蓋を開けたとき一瞬1/48スケールかと錯覚しました。 [Williams]

gammaNorthrop Gamma / 1933

それまでの複葉張線ばりが常識であった航空機のスタイルを、根底から覆した革新的な 機体。鬼才ノースロップの発案した全金属製片持式低翼単葉は、その後の航空機の基本形となりました。あの名機零戦も本機の基本設計をふんだんに取り入れていること、ご存じでしょうか? [Williams]


fordFord Trimotor / 1926

自動車王フォードがかつて航空機の製造に手を出したことを物語る歴史的機体。その飛行時の騒音の酷さにもかかわらず"ブリキの鵞鳥"の愛称で長く米国内民間路線で活躍した旅客機です 。三発エンジンが最も安全と信じられていた時代の懐かしいフォルムが魅力的。南極探査のためにバード探検隊が使用したことでも知られています。 [Airfix]


b247Boeing 247 / 1933

旅客機と言えば、全金属製で低翼単葉、引込脚を備えたスタイルというのが常識。この現代のジェット旅客機でも全く変わらない基本形のパイオニア的存在が本機です。そうした航空史における輝かしい地位を享受する間も無く、すぐ後に発表されたダグラス社のDC2,DC3の空前のベストセラーのおかげで、本機は極めて短命な生涯を送ったのでした。 [Williams]


StLouisRyan NYP Spirit of St. Louis / 1927

もう何も言うことはない。ニューヨーク・パリ単独無着陸横断に成功した、あのリンドバーグの愛機です。でも、こうやって眺めてみると意外に地味。操縦席に座ると全く前が見えなくなるあか抜けない設計に加えて、四角い翼やむき出しのエンジンなど、機体としてはむしろ平凡。結局、成功の秘密は、エンジンの信頼性と、リンドバーグの勇気と幸運に帰すると思えます。 [Frog]


electraLockheed Electra / 1937

アメリカの国民的英雄となった女流飛行家、アメリア・イアハートの最後の乗機となったことで有名な機体。クリーンな機体を数々創り出して名声の高まったロッキード社が、初めて双発機に挑戦し、彼女自身が「これで最後」と宣言した世界一周飛行に、迷うことなくこの機体を選びました。結果は最難関の南太平洋上で遭難という悲劇的結末。アメリカの"航空黄金時代"は、彼女の失踪と共に終りを告げたのです。 [Special Hobby]


orionLockheed Orion / 1932

オライオンというと戦後の対潜哨戒機が有名ですが、実はあれは二代目のオライオン。こちらが初代です。ヴェガ、シリウス、アルテアと続いた星シリーズの4男坊である本機は、本格的な単葉単発の旅客機として設計されたロッキード始めての作品。合板を多用した流麗なシルエットはすでに同社のトレードマーク。機体はノースウェスト航空のものです。 [Special Hobby]


vegaLockheed Vega / 1931

良くも悪くも航空機メーカーとしてのロッキード社の名前をご存じない方は、まずいないと思いますが、本機こそが同社にとって最初の出世作、世界一周早回り記録を作り、名機と唄われたヴェガです。全木製モノコックの丸々とした姿態が、単純で伸びやかなフォルムとなって、当時としては息を呑むような斬新なスタイルで世界をアッと言わせた機体です。 [Rareplane /vacuform]

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