My WorldCup rhapsody in Brasil 2014




サッカーが好きだ。
単純にして繊細。スパルタンだが華麗。積み上げたタクティクスが一瞬に裏切られるその理不尽なドラマ性。考え抜かれたルールで縛られた野球やアメフトなどの、いわゆるアメリカンスポーツとは本質的に違う、人類共通の感性をストレートに刺激するボールゲームがサッカーだ。
プレーの用具に金がかからない。誰にも分るシンプルなルール。 世界中で最も人気のあるスポーツとされる所以である。

中学生の時サッカーに目覚めて以来、ずっとサッカーを追いかけてきた。プレイヤーの夢は早々と才能の無さに気がついて諦めたが、観戦の方は今でも大好きだ。
日本サッカー不毛の時代の1970年代から、Jリーグの前身である日本サッカーリーグの試合を見に、千葉の社宅から東京の西が丘サッカー場に時々行っていた。今では想像もつかないだろうが、スタンドガラガラの国立競技場で日本代表の試合を観たことも何度かある。 日本ではまだ「ワールドカップって何それ?」の時代のことだ。

1974年にテレビ東京(当時の東京12チャンネル)が西ドイツワールドカップの決勝をカラー生中継して以来、日本でも、コアなサッカーファン以外にも、ワールドカップの存在が徐々に知られるようになった。でもやっぱり爆発的な人気を得たのは、今一歩で本大会出場を逃した1993年の「ドーハの悲劇」と、その4年後に奇跡とも言える出場権獲得となった「ジョホールバルの歓喜」を経験したからだ。

世界最高峰のスポーツエンターテインメントである4年に一度のワールドカップ。2014年はサッカー王国ブラジルが64年ぶりに開催国となる。
前回の1950年ブラジルワールドカップは僕が生まれる4年前の出来事だが、あのウルグアイとの決勝の映像を何度テレビで目にしたことだろう。「マラカナンの悲劇」と呼ばれた決勝でのブラジルの衝撃的な敗北。何人ものブラジル人が心臓麻痺でショック死。中には悲嘆のあまり自殺した人もいる。。。。

やっぱり王国ブラジル開催のワールドカップは、サッカー好きには特別の重みがある。
ワールドカップに日本代表が出場するのが当たり前みたいになったことも凄いが、もしブラジルで日本代表のワールドカップの戦いに参加できたりしたら夢みたいだ。
もういい加減歳だし、この後何度ワールドカップを見られるかも分らない。さらにブラジルのあとは、ロシア、続いてカタールでの開催が決まっている。うーん、どっちもあんまり行きたい国じゃないし、ワールドカップって雰囲気がしっくりもこない。行くなら今回のブラジルしかないんじゃないか?
まだ仕事の現役だし、長期間休むのは若干後ろめたさもあるが、後で「やっぱり行けばよかった」と後悔するのもな〜、と心は千路に乱れてしまう。


2014年1月某日
思い余ってFIFAの公式ウェブサイトに始めてアクセスしてみた。
おー、チケットの抽選で当たれば正規料金で買えるんだ。あ、1回目の抽選はもう昨年暮れで締め切ってる。とすれば、今回申し込めば2回目抽選。
ゴール裏じゃないCategory1の席はちょっと高めだけど、それでもUS$175。駄目元で申し込んでみるかな?会社の仕事のスケジュール考えると第3戦のコロンビア戦は無理だけど、第1戦と第2戦は何とかなるかもしれない。当たれば運命だということでブラジル行ってみるか。
ということで、レシフェの対コートジボアール戦とナタールの対ギリシア戦のチケット抽選を申し込みました。
チケットがもし当たれば、現地受け取りか自宅への郵送か?郵送料はかかるけど自宅へ送ってもらう方が安心だし楽だよね。迷わず自宅郵送を選択。この時は、その後の悪夢のような展開が待っているなんて誰が予想しただろうか。
さあどうなる?抽選発表は2月12日。


2月12日
FIFAから何にも言ってこない。。。?!


2月13日
FIFAからメール。何?抽選結果発表は1ヶ月延期。3月12日だそうだ。
さあどうしよう。行き帰りのフライト予約や現地での移動、ホテル予約を今から始めて置かないと間に合わんのじゃないか? しかし全部予約終わった後で、やっぱり抽選外れましたは困るな〜。 でもせっかく当たっても飛行機乗れないんじゃどうしようもないな〜。 あれこれ悩んだあげく、運を天に任せて旅行手続きを進めることにした。

ネットで行き帰りのフライトを予約。アメリカ経由とヨーロッパ経由、どちらにするか迷ったが、9.11テロから此の方、アメリカの入国はたとえトランジットでもかなり厳しくなっている。ESTAと呼ばれる電子ビザを事前に取得するのも面倒くさい。エアラインの信頼性も考慮してルフトハンザで行くヨーロッパ回りの便にした。どっちにしろ丸一日をゆうに越える長旅なのだ。これは楽勝でさくさくと予約終了。
試合会場のゲートシティ、サルバドールと日本の往復ルートが確保できた。

さて、行くと決めたからには次にやらねばならないのは、現地の移動手段確保とホテル予約である。
なにせ前回南アフリカよりまだ治安の悪いとされるブラジル。しかも第1戦の行われるレシフェは、人口当たりの殺人率ブラジルナンバー1を誇る?犯罪多発都市。
しっかり現地のツアーに乗っかって、危ない橋は極力渡らないようにせねば。
でもってネットサーフィン開始。いろいろ物色してみたがエクアドル本社の日系ツアーエージェントが的確なレスポンスを返してきた。これいいかもしれん。
サルバドール往復のチケットは押さえてしまっているので、それとうまくつながるようにこちらで勝手に日程を組む。こんなスケジュールでツアー申し込める?との質問に、いとも簡単にOKがきた。もっとも危険な夜間のスタジアムへの送り迎えも現地ガイドが付いてくれるようだ。
よし、ここで決めてしまえ。賽は投げられた。ルビコン川はもう渡った。ポイントオブノーリターン。全額前払い、USドル建て海外送金。だまされていたらもう終わりである。


2月某日
まだ抽選で当たったかどうか分らないのに、FIFAから郵送の住所確認メールが来た。 もしかしたら当たる可能性あるのかしらん?とちょっと期待が膨らむ。でもメールをよーく読んでいくと不安になる文言ばかりが並んでいる。
・もし住所間違ってたら届かなくても当方は責任もたんよ
・いつまでに届けるとの見込み確認は一切受け付けないよ
・心配だったらただちに郵送をキャンセルして現地受け取りの手続きに切り替えなさいよ
・郵送手続き開始は4月1日以降なのでそのつもりでね
胸の中で何かがザワっとした。これ大丈夫か?? やっぱり送ってもらうんじゃなくて、現地での引き換えの方が確実だったかな?
ふと思い立って、インターネットで、「ワールドカップチケットの現地引き換え」で検索してみた。出てきたコメントによると、「現地での引き換えは危ない。試合の直前にものすごい数の観客が引き換えに殺到するから、一日並んでもチケット受け取れないかもしれない。並んでるうちに試合終わっちゃうかも」
多分こういうことになるな〜、ブラジルだし。最悪だね、これ。。。。郵送にしておいてやっぱり良かった。


3月12日
FIFAからのメール「Congratulations」
わわわ当たった〜!!第1戦、第2戦、両方当たった、との連絡です。うそみたい。
4月1日以降にチケットの発行、送付手続きを始めるから待っててね、との連絡だ。
「うん、待ってる」純心にうなずく。「行くぞブラジル!」


4月某日
4月になったけど、なかなか連絡が来ない。3月の「当たった」メールには、郵送したらFIFAの公式ページに抽選申し込み時にセットしたMy Account上で、郵送したことを示す情報が追加される、との文言があったはずだ。ほぼ毎日のようにチェックしているけど、まだ変化なし。テレビでは、ようやくブラジル現地でチケットの販売が始まった、とのニュースが。
やっぱりブラジルのことだから、これから郵送開始するんだろうな、焦らず気長に待とう。そうそう、そろそろブラジルの観光VISA申請しなくちゃ。試合会場は熱帯だから、黄熱病の予防注射も必要か?


ということで、ブラジルの観光VISA取得を都内の南米ツアー専門旅行会社に依頼する。
手続き料金は高いが、かなり面倒くさそうなのでやってもらった方がベターだと思ったのだ。
申請書類と一緒に提出する顔写真を撮らねばならないが、注意書きには、カラーで、とかバックは白色無地で、とか帽子とかサングラスはだめよ、とか、ごく当たり前のことを書いているが、顔のサイズが3.5から4cmの中にはまるように、というのにはビビる。
その辺の自動写真で撮ったとしてちゃんとこのサイズになるのかな?それにしても何でこんなに変に厳しいんだろう?全くもってブラジルっぽくない。
用心のために会社のそばの写真屋さんへ行って撮ってもらった。「ブラジルの観光VISA申請用の写真お願いします。」「あ、分りました。最近ブラジルは写真のサイズとかがうるさいいんですよね。」おー、やっぱりプロの写真屋さんに任せて正解。
必要書類と一緒に出来上がった写真を旅行会社に渡す。翌日VISAが出来たとの連絡。
早っ!本当か?全くもってブラジルっぽくない。

次は黄熱病の予防注射である。そこら辺のお医者でいつでも打てるものではない。はるか昔に会社の仕事でやはりブラジル出張する時、東京港のそばの薄汚いビルを紹介されて打った記憶がある。僕の前に並んでいたおじさんが、「お兄さんどこ行くの?俺はガボンなんだよね。行きたかねんだけどよ〜」と暗〜い顔で話しかけてきたのを覚えている。
ネットで調べてみた。うむ、そうだ東京検疫所だ。前回もそうだった。
予約を入れようと電話してみた。
「もしもしブラジルへ行くので黄熱病の注射の予約をしたいんですが。。。」「はいワールドカップ観戦ですか?」「。。。は、はいそうです(凄いな〜、そんなにたくさん観戦者が押しかけてるのか)」「どことやる試合ですか?」「は?(何でそんなことを?)」「だから第何戦ですか?ご覧になるのは」「あ、はい、第1戦と第2戦の2試合で」「あ、ならいらないですよ」「は?」その後の説明によると、こういうことらしい。
現在ブラジル入国には黄熱病予防注射は義務付けられておらず、地域によって予防注射を打っておくことを勧める地域があるんだそうだ。第1戦のレシフェと第2戦のナタールはいずれも黄熱病のリスクが低い地域なので打つ必要はあまりなく、一方でコロンビアとの第3戦が行われるクイアバはリスクが高いのでお勧め地域なんだとか。
なるほど、それでさっきみたいな対応だった訳ね。
「あ、良く分かりました。じゃ安心して注射打たずに行きます。」「黄熱病はいいと思うんですが、行かれる地域はデング熱が流行ってます。デング熱は予防注射がないんですよね〜。どうぞ気をつけて行かれてください。」げげげ〜。


4月30日
明日から5月なのにチケット送ったとも何とも言ってこない。。。
ワイフも痛く心配してくれている。
確かFIFAのチケットサイトから当選番号入れると問い合わせができたな。
よし督促してみよう。「もしもし、まだチケット届きませんがどうなってますかね?」


5月2日FIFAからメール
「コンタクトありがとう。チケットの印刷と販売開始は4月1日以降でないと始まりません。郵送が終わるとあなたのチケットアカウントからステータスの確認が出来るようになります。ワールドカップ楽しんでくださいね。それでわ。」
それでわって。。。あの。。。4月1日以降ってのはもう分ってんだけど。。。もうそれから1ヶ月も過ぎてまだ送られてこないから問い合わせたんだけど。。。
こちらの聞きたいことへの回答になってないな〜、ま、おとなしく待ってろってことかな。


しかしちょっと不安でもあるな。大丈夫かな?
ネットで他のルートからも押さえておくほうがいいかな。
このサイトは?viagogo?変な名前だけど、おーいっぱい売ってるじゃないの?ん?FIFAの正規料金より安いぞ?オークションサイトなのに何でかな? でも安いから念のための押えで申し込んでおくか。支払いはクレジットカードで、と。
はいこれで押さえ完了、と。
しかしこちらのEメールアドレス情報もクレジットカード情報もいれたのに、お受けしましたとも何とも言ってこないな。口コミ読んだらこのサイトの悪口だらけ。評判あまりよくないサイトだな。なになに?コンサートチケット買ったのにチケット届いたのがコンサート終わってからだった???うそだろー。さすがにカードから引き落とされたのに送ってこなかったってクレームはない。もしそうだったら立派な詐欺だろ。ま、FIFAと同じで多少のリスクはしょうがないか。


5月7日FIFAからメール
「おめでとうございます。お客様のチケットはすでに発送されたか、もうすぐ発送される状態です。発送されたらFIFAのサイトからステータスがごらんになれます。ワールドカップ楽しんでくださいね」
やっほー、viagogoとかの変なサイトで買った分が無駄になるけど、まっいいか。チケット来るの楽しみだなー。


5月17日
10日経ったけど音沙汰なし。。。。もういっぺん督促するか。「すぐにも送るということでしたがどうなってますか?」

5月22日FIFAからメール
「おめでとうございます。お客様のチケットはすでに発送されたか、もうすぐ発送される状態です。発送されたらFIFAのサイトからステータスがごらんになれます。ワールドカップ楽しんでくださいね」
おいっ!前回と全くおんなじ文面じゃないか〜。こちらがこんなに心配してるのにまじめに応えろよ〜。胸の中にもくもくと黒い雲がわいてくる。FIFA大丈夫か?


5月24日朝、FIFAチケットセンターからのメール。
「来た〜っ」急いで開けてみると。。。「ワールドカップいよいよ本大会近づいてきましたね。試合会場で思い切り楽しんでもらうために、どんなスナックを食べたいかアンケートです。協力お願いね。」。。。。。。ぶちっ「バ、馬鹿にしとんのかぁ、オラぁ〜っ」
まだチケット届いてないんだよ、何度も催促してるんだよ、まともに返事こないんだよ、こんなメールよこすなら、チケットちゃんとデリバリーしてからにしろよ(泣)


同日夕刻オランダのロッテルダムから前触れもなく唐突にEMS届く。ん、あ、第1戦のチケットviagogoから送ってきた。思わずチケットに手を合わせる。よかった〜。
しかし、それにしても頼りにならないのはFIFA。いったいどうなってるんだ、と段々怒りがこみ上げてくるのを禁じえない。同日FIFAに3回目の督促。

5日たったが音沙汰なし。もう5月が終わってしまう。
Viagogoからもあの後何にもこない。
って第2戦チケットは無しで出発か。本当にこんなことが起こるんだな〜。
いまだにFIFAウェブサイトのステータスも何にも変化ないし、ということはまだ発送さえされてないということ?かなり精神的にグッタリしてきた。

ところが。。。。。。
5月29日
何の前触れもなくFIFAから2試合分のチケットが届く。
来たら躍り上がって喜ぶべきところが、あんまり待たされてあまりにも心配し過ぎて、なんだか放心状態。この3ヶ月のストレス半端じゃなく厳しかったな〜、とまずはシミジミ感に襲われてしまった。
念のためFIFAのサイトからステータス確認。。。。まだ発送されたことになっていない。。。。???
結果的にちゃんとチケットは送られてきたのだから、FIFAの落ち度など全く無い。こんだけ心配したんだ、というクレームは、おそらく通じない。「だから何にも問題なかったでしょう?FIFAから都度連絡している通りだったでしょう?」で終わりだ。
しかしこの焦燥感というか、「これでいいのか」感はなんだろう。
世界中でいったい何人のサッカーファンが、こうした僕のような思いを持ったんだろう。
それとも、FIFAってこんなもんよ、ってことで、皆ぜんぜん心配しなかったんだろうか?

今回の顛末を通して僕が思うに、FIFAのやり方の問題は、購買者の心理状態というものを斟酌しない、というか、あまりにも無視しているということだ。チケット発送業務を業者に丸投げして、FIFA自身がリスク回避をすることは分る。いつまでに届ける、という約束ができないのもその通りだろう。
しかし実際にチケットを購入したお客にとっては、それが確実に自身のブラジル出発までに手元に届いている、ということは死活問題だろう。簡単な話、ワールドカップブラジルツアーのための全ての旅費費用と時間はこのチケットのために負担されているのだ。
(だから、心配な人は郵送じゃなく、現地引き換えにしなさいよ、と最初に言ってあったでしょう、とFIFAはきっと言うんだよな〜)

しかし、だ。ひとこと「チケット発送は4月1日以降となりますが、なにぶんにも大量なチケットを世界中に発送するため、お手元にお届けするまで時間がかかることも予想されます。最悪でも5月末までには発送が終了する見込みですので、どうぞご了承ください。」くらいのことを言っておいても損はないだろう。今回みたいに長期にわたって悶々とさせられることを考えれば精神衛生上はずいぶん楽になったはずだ。
ま、ここでどれだけ文句垂れてもFIFAが今のやり方変えることは絶対にないだろうけど。


6月1日
1週間前にこちらから送った3度目の督促の返事が今頃きた。
「おめでとうございます。お客様のチケットはすでに発送されたか、もうすぐ発送される状態です。発送されたらFIFAのサイトからステータスがごらんになれます。ワールドカップ楽しんでくださいね」
以前の2回とまったく同じ文面。要するにどんな問い合わせしても、個々のケースに応じて対応してくれる訳ではなく、全てマニュアルで機械的に答えてるだけなのね、君たちは。。。。もう、チケット来たからどうでもいいけどさ〜(怒)
ふと興味がわいてウェブサイトのステータス覗いてみた。あ、ステータスが出てきた。
ステータスはこう言っている。5月26日ジュネーブから発送済み(だったらその時点でそう言ってくれ)。5月29日XX(僕の自宅の住所)に配達済み。
全て事後の記録である。やっと気づいた。このステータスって、僕ら購買者のための情報じゃなくて、何かトラブルがあった時の責任逃れのために、彼らが必要としてる情報なんだ。いやいや、思えば1月にFIFAのウェブサイトにアクセスしてから半年。この6ヶ月はとっても勉強になりましたよ。いやほんとに(二度とFIFA経由で買うか、ボケ〜っ)
さて、チケット騒動は落着した。あとは旅行の準備である。


旅程表をあらためて確認する。飛行機の乗り継ぎが多い。何せ10日間の旅行中に合計12機の飛行機に乗らねばならない。これだけ乗り継ぎが多いと、荷物を預けてしまうとそれだけ、途中でどこかへ行ってしまい行方不明になるリスクが大きいということである。ましてや行き先は「世界いい加減さワールドカップ」の常連国と自他ともに認める?ブラジルである。となれば荷物を預けるリスクなどおかせない。とにかく機内キャビンに持ち込める大きさに荷物を絞り込む必要がある。ま、おっさんの一人旅だ。そんなに着替えはいらないだろう。

ブラジルには以前仕事で何度か行ったことがある。ただし一番最近の訪問はもう20年近く前だし、今回の試合会場である北部の都市へは行ったことがない。ほとんど初めてみたいなもんである。季節に関係なく1年中暑い地域のようなので、服装は真夏仕様だけでよさそうだ。この点は荷物が嵩張らないので助かる。

治安面でかなり心配な国なので、出来るだけ貧相な格好にしなければならない。ユニクロへ走って行って、上から下まで地味仕立てのカジュアルで固めることにした。グレー系のウォッシュジーンズにさりげなく日本サポーターを演出するブルーのTシャツ。雨も降るだろうからフード付きの薄めのパーカーもやはり目立たないようにグレー系。うーむ試着してみるとほとんどゲゲゲの鬼太郎に出てくるねずみ男である。

チケット確保できて心の踏ん切りがついたせいだからだろうか、出発準備は躊躇なく進んでいく。もって行くのを忘れてはならないのは、パスポート、クレジットカード、洗面用具、必要な医薬品(デング熱対策の蚊避けグッズは必須)、おっと、現地ブラジルで使える充電用のコンセントプラグは大事だな〜。
多分日本とは違う形なので買っておかないと。早速ネットで調べてみると「ブラジルのコンセントプラグは2013年くらいから漸次新型の3本脚の丸型断面タイプに切り替え中ですが、従来型もAタイプ、Cタイプの両方が引き続き使われてます。」。。。。。ナンのこっちゃ、良く分からないが、何種類も併用で使われてるってことらしい。何で統一されてないのかな〜?不便だろうに?
とにかく泊まるホテルがどのタイプか分らないので、結局全種類持っていく羽目になりそうだ。いよいよブラジルに向けて出発である。
相変わらずブラジル国内は、ワールドカップ反対のデモで騒がしいらしい。サッカーが人生そのものであるブラジル人が、自分の人生を否定するような行動とっちゃいかんな〜。大会が始まればもう今までの反対は忘れてブラジルの勝利に熱狂するんでしょ、君たち。どうか地球の裏側からやってくる日本人サポのためにも開催の邪魔はしないで欲しい。

今回のフライトはドイツのフランクフルト経由。ブラジルは日本のちょうど反対側だから、どっちから行ってもいい、というのは頭では分っているんだけど。小学校の頃から日本が真ん中にあるメルカトール図法の世界地図が刷り込まれているもので、どうも全然違う方向に飛んで行くような感覚から抜けきらない。

Viagogoで買った残りのギリシア戦チケットは6月4日に届いた。何故か2枚???チケットがつながった状態である。インボイスには1枚と書いてあるので、多分チケットの切り離しを間違えて気づかずに2枚を送ってきたようだ。最後までいろんなことが起こるな〜。結局はコートジボアール戦2枚、ギリシア戦3枚のチケットが手元にあるわけだ。あれだけどきどきしながらデリバリーを千秋の思いで待っていたのに、結果から言うと余分なチケットが3枚も。。。。これ現地で売ったら違法だっけ??


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6月11日、いよいよ成田から出発。
まずはルフトハンザ機でフランクフルトへ飛ぶ。意外に乗客はまばらで、サムライブルーのユニ姿は皆無。やっぱりアメリカ経由が本道で、このルートは裏道なのか?搭乗して初めて気づいたのだが、この飛行機いったん関空に寄っていくのだ。そう言えば航空券をネットで押さえた時、フランクフルトまで随分時間がかかるな?と、一瞬不審に思ったのだけど、その時は、まあ夏時間のせいか?とか、あまり深く考えなかったのだ。
関空までは機内はガラガラ。ルフトハンザ大丈夫か?機内でコンビニの鮭おにぎりを一個渡される。ちょっと悲しかった。
関空では一転して団体客がドカドカと搭乗してきた。機内が突然関西弁で満たされ空気が一変。関西のおばちゃん達は相変わらず元気いっぱいだな〜。ドイツ観光に出かけるようだが、あちらでも行く先々で飴ちゃん配りまくるんだろうか。

関空を飛び立って約11時間でフランクフルト到着。リオ行きの便まで4時間ちょっとの待ち合わせ時間がある。機内エンターテインメントでサッカー関係の映画を3本も立て続けに見てしまったのでさすがに眠い。
だって「ドイツブンデスリーガ50年史」とかやってたらサッカー好きは見ないわけにはいかないでしょ。あと前から見たいと思ってた「Other Final」。これは2002年の日韓ワールドカップの時に、もう一つの決勝戦ということでFIFA公認で行われた世界最弱国を決めるサッカー試合のドキュメンタリーだ。この映画は、FIFAランキングの最下位(203位)モンセラート対ブービー(202位)のブータンの両国がいかに試合をセッティングし実現したかの一部始終を追っており、フィナーレとなる試合の実況もちょっと感動物。
そして3本目は20世紀初頭のドイツに初めてサッカーを普及させた英国帰りの教師の物語「コッホ先生と僕らの冒険」だ。この映画は機内音声がドイツ語だけだったが、実は以前に英語版で見たことがあり2回目だったのでストーリーは大筋知っていたので楽しめた。

巨大なフランクフルト空港のターミナルをリオ行きのゲートまで移動する。まだ出発までだいぶ時間があるので目指すゲート付近の人影はまだまばらだ。椅子席に寝転がってつい熟睡してしまった。突然自分のいびきに驚いて目が覚めた。2時間ほど寝入っていたらしい。周りの席はもう飛行機を待つ乗客でほぼ埋まっており、そんな中でひとりガーガー寝ていたのか思うとちょっと恥ずかしい。
さすがにリオ行きなので、いかにもサッカーの応援に行くぞ〜っと気合の入った人達が多い。当たり前だがドイツのサポが数では圧倒的。いよいよワールドカップの雰囲気が濃くなってきた。しかし日本人の姿がまだ多くないのが気がかり。これからまた12時間の長距離飛行だ。

リオに飛ぶルフトハンザ機。ボディペインティングもワールドカップ仕様。



飛行機では普段できるだけ窓際の席に座る。通路側を選ぶ人は多いと思うが、僕の場合、窓側の人が頻繁にトイレに立つ時のわずらわしさよりは、自分がトイレを我慢する方がベターと考える性格なので、どうしても自分のペースを乱されないで済む窓際を選んでしまう。第一、窓からのせっかくの景色がもったいないじゃないか。

しかし今回のリオまでの12時間は窓際で失敗だった。僕と通路までの間の2席が超特大のおっさんに座られてしまい、しかもこのおっさんは2人ともボスニアヘルツェゴビナのサポーター(ユニで分かった)らしく、英語は全くしゃべれないことが判明。機内食のチョイスをスチュワーデス(これはもう死語?)が、ドイツ語、英語、ポルトガル語の順番で聞くのだが、全く理解できないらしいのだ。 従って僕も国際交流しようにも全くお手上げである。

でもってこの2人が食事の後、ぐっすりと眠りこんでしまった。このフライトは欧州時間の夜11時頃に出発する深夜便なので無理もないのだけれど。僕はさっきゲートで寝たし、時差もあるので眠れない。映画を2本も見ればトイレにも行きたくなるが、何しろ通路までは巨大な肉の壁でふさがっている。意を決して2人を起こしてトイレに行かせてもらったが気の毒だった。しかし「ソーリー」も通じてないみたいだもんな〜。

かろうじてリオに降りて座席を後にする時に、「ボスニア?」(うなずく)「ミスターオシム。マエストロ・デ・ジャパニーズ・フットボール」と言って、親指を立ててみた。ちょっとにっこりして何かむにゃむにゃと言ってくれたが、果たして通じたんだろうか?


リオデジャネイロ(ブラジル人の発音だと、ヒオジジャネイロ)に降り立つのは実に20年ぶりだ。
すでに日付は変わり6月12日。朝5時の到着なのでまだ夜は明けておらず、あたりは漆黒の闇。昔初めてリオに降りた時は、リオ独特の素晴らしい景観を機上から眺めていたく感動したものだ。今回は真っ暗闇で、コパカバーナの海岸もコルコバードの丘のキリスト像も、そして独特の形の山、ポンジアスーカル(砂糖パン)も全く見れず残念だった。
僕の大好きなボサノバの名曲「サンバ・ジ・アヴィオン(飛行機のサンバ)」で歌われた歌詞の通りの感動をもう一度味わいたかったのだけれど。その代わりと言っては何だが、着陸後タキシングの途中で、機内アナウンスをしていた機長がサービスのつもりか、突然「イパネマの娘」のフレーズを歌いだしたのはご愛嬌だった。

さてリオで4時間の待ち合わせでサルバドールへ飛ぶ。
さすがにちらほらと日本サポーターの姿も目に付くようになった。おっさんの一人旅は今のところ僕以外には見かけない。
フライトインフォメーションの画面でゲートナンバーをチェック。まだ僕の乗るサルバドール行きは表示されていない。そうそう南米はどこでも、これがなかなか出なくて焦るんだよね〜。
早々に表示されていても安心はできない。ボーディング時間のギリギリになって突然ゲートナンバーが変わることも普通なのだ。

サルバドール行きのフライトは完全に満席。初戦をサルバドールで戦うオランダのサポーターが大挙して搭乗してきた。団体なのでテンションが上がってうるさいの何の。機内はオランダのオレンジ色に染まってしまった。この雰囲気。ワールドカップが始まる地元に今居ることがじわじわと実感となって、こっちも気分が高揚してくる。


6月12日、午前11時、サルバドール着。
予め頼んでおいた現地ツアー会社のアレッサンドロ君が迎えてくれた。英語の上手な19歳の大学生で育ちの良さそうな青年だ。父親はスペイン人、母親はスイス人。本人は今大学の休みなのでバイトでこの仕事をしているらしい。専門のガイドではないが、彼には今日と明日、空港とホテルの間の送り迎えだけを頼んでいるので問題ないだろう。
「アレッサンドロ君はどこを応援するの?」「ん〜、やっぱりブラジルですかね〜」「でもスペインと決勝になったらどうするの?」「ん〜、周りの友達と一緒にTV見るだろうから、一応ブラジルのふりして、心の中でスペイン応援ですかね〜」
「じゃスイスは?」「実は僕、スイスで生まれたので本当はスイスの応援したいんだけど、決勝へはまず行けないでしょう?」
複雑だな〜。僕のように日本代表だけを応援していればいい、っていう単純な立場じゃない人間も、世界には一杯いるんだ。

ホテルにチェックインして明日の朝のピックアップ時間を確認し、アレッサンドロと別れる。ホテルは「小汚い」とも「小ぎれい」とも言えそうな微妙な評価。 まずは部屋に入ってシャワーだ。
水しか出ないシャワーを浴びてからベッドに転がり、今日の予定を考える。部屋は裏通りに面していて、窓の外にはあまり裕福ではなさそうな家並みが続いている。街路樹はヤシが多く東南アジアを思わせる風景だ。




サルバドールはブラジルで最も早くヨーロッパ人による入植が開始された街で、1822年のブラジル独立後、長く首都がおかれていた、言わばブラジルの京都である。
ホテルのある場所は旧市街からちょっと離れた海岸そばの、Barra(バーハ)という地区にある。
ポルトガル語とスペイン語は兄弟言語だというが、普通この綴りだとスペイン語なら思いっきり巻き舌を利かせて「バァルルラ」って発音になるだろう。大体パカパカと威勢のいいスペイン語と違ってポルトガル語は濁音が多くモゴモゴとした語感の言葉だ。その分僕らには聞き取りが難しい。
ここサルバドールにはレシフェの試合の後いったん戻ってきて2泊する。その時に1日ツアーを申し込んでおいたはずだ。アレッサンドロからもらったスケジュール表を改めて確認。

16日に予定の1日ツアーは…..「ん?Praia do Forte…どこ?サルバドールの旧市街じゃないの?」よくチェックせずに日本からツアー参加の返事をしておいたが、どうも海岸のビーチリゾートへ行って1日ボーっとしているツアーらしい。どうせ時間はあるから、これはこれでいいんだけど「ん?そうするとサルバドールの旧市街を見れるのは今日しかないか」ということで、急遽これから出かけることにした。夕方5時からブラジル対クロアチアの開幕戦なので、それまでに戻ってこなくては。
旧市街のレストランで早めの食事をして、明るいうちにホテルに戻ってくればいいだろう。

ホテルの前に駐車していたタクシーに乗り込む。ボディに赤青のストライプの入ったライセンスを持ったタクシーなので安心して乗れる「ボン・ジーア(おはよう)」。
イヴァーンという名のおっちゃんドライバーは勿論英語なんぞ話さない。片言のポルトガル語で話しかけ旧市街へ。話好きのおっちゃんは色々言うが、ちょこっとの単語以外は聞き取りに苦労する。だがこちらのスペイン語は何とか通じてるみたいだ。分からなくなるとこちらから「フォルサ・ブラジウ!(頑張れブラジル)」と叫んでごまかす。旧市街の大聖堂の前で止めてもらった。言われた金額にR$2(約100円)をチップで渡す。 「オブリガードXXXXXアミーゴォ」のイヴァーンの声に「チャウ・フォルサ・ジャポーン」で別れる。





お寺はどれも歴史を感じさせる壮麗なカトリック寺院だが、ちょこちょこっと見て早々にガイドブックで調べたレストランに向かう。途中の広場がオレンジ一色に染まっている。明日、スペインとの大一番に臨むオランダの大応援団だ。それにしてもスペインサポは何処にいるのか?

地元でも有名らしい郷土料理店、バイア州の名物料理ムケッカを注文。
エビや魚などシーフードをトマトソース、ココナツミルクそれにパーム油を加えて煮込んだ一品。別盛りのご飯にからめて食べる。普通は2人前からだが、ハーフ・ポーションにしてもらった。それでも量は多い。一口食べる。「うまっ」究極のこってり系。ご飯がすすむ。しかし10口目くらいでやはりペースが落ちる。胃袋にひと口ひと口がドスンドスンと溜まっていく感じ。これは大人数でわいわい言いながら食べるご飯だな〜。





サルバドールの名物料理ムケッカ



レストランを出たところで旧い街並みがきれいなのでスマホで写真を撮って歩き出したところ、後ろから誰かついてくる気配がある。「ん?ヤバいかな?」と思ったら何だか僕を呼んでいるようだ。
振り向くと男が差し出した手にレアル紙幣を一枚握っている。手振りで落としたよ、と言っている。
ああ、写真を撮ろうとポケットからスマホを取り出した時に落ちたんだ。落としたお金拾ってくれるなんて、え?サルバドールのブラジル人親切じゃん。ガイドブックには危険情報が溢れているが、こうした極普通の人達だってたくさんいるんだ。あらためて当たり前のことに気付かされた。

さてホテルへ帰ろう。その辺りに停まっていたライセンスタクシーに乗り込みホテル名を告げる。
走り出したタクシーの運転手に「英語できる?」と聞く。「うんにゃ」(やっぱりね)。うろ覚えのいい加減なポルトガル語で、「今日は5時からブラジルの試合だね?」らしき事を言ってみる。突然機関銃のようにドライバーのおっちゃんが反応する。後ろを振り返り振り返りまくしたてるので、危なくてしょうがない。「トレイス・ゼーロ、トレイス・ゼーロォ」ああ、3:0で勝つぞと言ってるんだね〜。
お約束の「フォルサ・ブラジウ〜!」でタクシーを降りた。

ホテルの部屋に帰ってTVのスイッチを入れると、ワールドカップの開会セレモニーが終わりに近づいていた。開幕戦がいよいよ始まる。ブラジル対クロアチア。舞台はサンパウロ、試合を捌くのは西村主審。日本人も大したもんだ。
選手の入場とともにサルバドールでもドカンドカンと花火が上がった。さあ本番。
前半11分、クロアチアが左サイドをえぐって、グラウンダーの早いセンタリング。
クロアチアFWが当て損なったボールは、その背後のマルセロの足に当たって何とオウンゴール。
ブラジルがいきなり先取点を奪われるセンセーショナルな立ち上がりとなった。すさまじい地元サポーターの熱気がプレッシャーとなったのか立ち上がりのブラジルはどこかぎこちない。
それでも20分にネイマールが技ありの同点ゴール。TVアナウンサー「ブラジル・ゴル」を絶叫5回。TVの中でもサルバドールの街でも一斉に花火が打ちあがる。

後半になって疲労からだろうか、クロアチアのボールへの執着に徐々に衰えが見え始める。残り20分くらいのところで、ちょっと甘めのPKがブラジルに与えられた。西村主審もブラジル国民のプレッシャーに押されたか?クロアチアのGKは方向を完全に読んでいたが、ボールは手を弾き飛ばしてゴールの中に。これもブラジル国民の後押しがボールに勢いを与えたような気が。
逆転に成功してブラジルの精神的な重石は取れた。何かから解き放たれたように俄然ブラジルの各プレイヤーが躍動を始める。終了間際のオスカールの3点目。ブラジル全土が歓喜に爆発した。サルバドールの街から地鳴りのようなウォォォォ〜という咆哮が聞こえ、続いていくつもの花火が打ち上げられた。


6月13日、朝3時半に起きてレシフェへの移動の準備。昨日チェックインの時に、「明日は4時頃のチェックアウトになるけど、そんな朝早くから朝食やってないよね?」と聞いたが、受付のおっちゃんは、「大丈夫、問題なーい」と力強く答えてくれた。しかし.....受付にはセキュリティのお兄さんが一人。ホテル内のカフェは真っ暗で、空港まで送ってくれる運転手とガイドの二人がボ〜っと待っている。

空港ではTAM航空にチェックインする時にお姉さんが「機内持ち込みの制限は5キロまでよ」と、信じられないことを言う。散々粘ったが埒があかない。僕の乗る便は、レシフェ、フォルタレーザ、ベレン、マナウスと、どんどんアマゾンに向かって飛んで行くのである。もし手違いで荷物がレシフェで降ろされなかったら、僕の荷物はアマゾンの奥地まで持っていかれてしまう。しかし、これ以上交渉しても無理そうなので、やむなくバッグから貴重品を取り出して手荷物とし、バッグは預けざるを得なかった。このさきのことを考えると、国内移動ちょっと大変だ。
気を取り直して飛行機を待つ間、カフェコンレイチ(ミルクコーヒー)とポンジケージョ(タピオカを練りこんだモチモチチーズパン)の朝ごはん。

サルバドールからレシフェまでの機内、僕の席の斜め前方に 、何だか見たことのある顔をしたデカいおっさんが座っている。う〜ん、誰だっけ?で、ちょっと考えて思い出した。わわわ、カフーじゃないか?!往年のブラジルセレソンの名サイドバックだったカフーと同じ飛行機に乗り合わせるなんて。で隣にいるちょっと小柄なおっさんは?...わほ〜、ロマーリオじゃん!94年ワールドカップ、ブラジル優勝の英雄だ。さりげなく仲良く一緒に座ってるところに出くわしてしまった。こんな凄いプレイヤーとすぐそばで逢えるなんて、やっぱりブラジルだな〜。


レシフェ空港到着。ターミナル出たところで、現地のガイド、レオナルドが迎えてくれた。39歳の地元出身、生粋のペルナンブカーノ(レシフェのあるペルナンブコ州出身者のこと)。これまでブラジル国外へは行ったことがなく、英語はレシフェの学校でマスターした、とのことだが結構上手だ。朝早く到着したので、まだホテルチェックイン出来ず。取り敢えず荷物だけホテルに預けておいて、事前に打ち合わせていた通り、レシフェの半日ツアーに案内してもらう。まずは歴史的な建物の多いレシフェの旧市街へ。ちなみに地元ブラジルではレシフェをヘシーフィと発音するようだ。僕もこれからこう呼ぼう。

「ヘシーフィって、日本ではもの凄く危ない街だって報道されてるけど?」「まあ、気をつけるにこしたことはないけど、外国人は行っちゃいけない場所さえ行かなければ、そんな怖いとこじゃない。」「やっぱりそういう危ない場所があるんだね?」「ファベイラ(貧民街)だ。知ってる?」リオの山肌を覆い尽くすスラム街は世界的に知られているが、ここのファベイラは川沿いの低地にべったりと拡がっている。
旧市街は最初にこの街を作ったポルトガル人とその後を襲ったオランダ人の双方の文化が、今でも色濃く残された興味深い場所だ。古い教会や修道院。昔監獄として使われた建物がそのままショッピングセンターになっていたり。そう言えばアジアのマラッカも16〜17世紀にポルトガルとオランダが争奪戦を演じた場所だ。この両国は昔は世界中で覇権争いをやってたんだな〜。
運河と橋が多いことからヘシーフィは「ブラジルのベニス」と言われているんだそうだが、雰囲気はまるで違う。多分そう言ってるのはベニスへ行ったことのないブラジル人だけなんじゃないか?第一ベニスにはファベイラは無いと思うよ。でもレオナルドのおかげで結構ひったくりが横行しているらしい旧市街もあまり緊張なく回ることができた。

ヘシーフィ市内。カーニバルのお人形屋


旧市街を一通り回って、レオナルドが「どっか行きたいとこある?」と聞く。「博物館とか美術館みたいなとこがあれば行ってみたいね。」「あ、それなら是非観て欲しいとこがある。市街からちょっと離れてるけど行く?」「いいよ、行ってみよう」
市街から内陸に向かっておよそ20キロほどドライブ。辺りの景色は一変、深い緑の森が目立ち始めた。大きな道から分かれて森の中の小径を縫うように入り込んだところにそれはあった。
フランシスコ・ブレナン美術館。日本では余り知られていないし僕も全く知らなかったけど、ブラジルだけでは無く世界的にも結構有名な陶芸アーティスト、フランシスコ・ブレナンの工房でありその作品を展示した美術館なんだそうだ。敷地に一歩足を運んで驚いた。これはSF映画のエイリアンの築いた古代の宮殿?それとも遺跡?これまで見たことのない不思議というか一種異様なフォルムの作品群が圧倒的な存在感で眼前に並んでいる。この土地で産出される粘土を焼いて作られた動物をモチーフとした無数の造形。





ブレナンは現在87歳で、尽きないイマジネーションを駆使して今でもまだ創作を続けているのだそうだ。おそらくここを紹介した日本の旅行ガイドブックって無いんじゃないのかな?ただしこの作品群、ちょっと日本人の感性とは遠過ぎて、自分の家の庭に置いてみたい、と思う人はあまりいないと思う。


半日のヘシーフィ観光を終えてホテルに戻り、チェックイン。
カウンターで手続きをしていると、ホテルのオーナーらしきおっさんが寄ってきた。「頼みがある。これ見てくれ。」差し出された紙には、おお書きで「日本強制的」の文字が??何なんだこれ?「日本人客がいっぱい泊まるんで作ったんだ。日本の応援だよ。これで合ってるか?」「いや〜、しかしこれ日本語になってないよ、意味通じないよ」「えっ?!」多分ネットの自動翻訳からパクったに違いない。「どう言いたいの?」「フォルサ・ジャポンだよ」ああ分かった。「ガンバレ日本」と書き直してあげた。

部屋に入ってTVをつけるとサッカーをやっている。大雨のナタールで行われているカマロイス対メーシコ(ポルトガル語では、カメルーン対メキシコが、こう聞こえる)。互いに攻撃的なプレーを続け、何で取り消されたかよく分からないゴールが双方にあったが、後半のメキシコの一点で決着がついた。
カメルーンは前回大会でも初戦の日本戦を1対0で落としている。厳しいスタートだ。ナタールで行われる次の試合が、我らが日本代表の対ギリシア戦だ。また大雨になるのか?ここヘシーフィも雨模様だ。明日までにビニールのレインコートをどこかで用意しなくては。

今日はもうホテルの外に出て行く気はしないので、ホテルの中で食事を摂って寝ることにする。頼んだミートスパ、麺がクタクタだったが意外に美味しかった。

部屋に帰ると、カマロイス対メーシコ戦に続いて、TVは本日の大一番、オランダ対スペインのライブ中継になった。前半スペインは最大の武器である早いパス回しでオランダ陣に攻め込む。スペインの1トップはF.トーレスではなくディエゴ・コスタ。彼はブラジルの国籍も選べる立場だったのに敢えてスペイン代表を選んだことで、地元のブラジル人にいたく評判が悪い。
彼にボールが渡るたびに凄まじいブーイングが巻き起こる。そのD.コスタが足を引っ掛けられてスペインPK。シャビ・アロンソがしっかり決めてスペイン先制。このままスペインペースかと思われた前半終了間際、難しい斜め後方からのセンタリングをオランダのエース、ファン・ペルシーがヘッド一閃、同点になった。

ハーフタイム、ブラジルのアナウンサーと解説者のおしゃべりの中に、「オーストラリア」と「ミゼリコルジーア」の単語が聴こえた。その後に2人でケケケと笑いあっている。今日のヘシーフィ観光の最中に、たまたまレオナルドが教会の名前の「ミゼリコルジーア」について教えてくれていたのだ。日本語で訳すと「慈悲」という意味になりそうだ。要するに、オランダ、スペイン、チリと同じグループに入ってしまい、とても勝ち目はないであろうオーストラリアに「神のお慈悲を」と言っているらしい。舐められてるな〜オーストラリア。(結局オーストラリアは翌日チリ相手に善戦したものの、3対1で敗れた)
後半戦、スペインにとっては悪夢のような45分だった。誰もが予想できなかった4失点で、結局5:1。無敵艦隊は完膚無きまでに粉砕された。オランダは前回大会決勝のリベンジを果たした形だが、スペインはGKカシージャスの大ミスもあったが、攻撃でPKの1点しか取れないのであれば負けても仕方が無い。
ゴンゴンと一晩中唸り続けるエアコンの部屋でまどろむ。眠りが浅い。


6月14日、いよいよ第一戦の朝。
さすがカトリック国ブラジル。TVをつけるといくつものチャンネルでキリスト教の朝の説教をやっている。延々とつづく。朝ごはんを食べに行こう。
おお日本人客が10数名、もくもくと朝食を食べてる。ブッフェスタイルのメニューに怪しい感じの寿司が何種類も並んでいる。試しに一個かじって見た。まずい。折角だが日本人はあまり手をつけないんじゃないの、これ。心づかいは有難いんだけど。ただしそのおかげでお醤油を用意してくれてるのはとても助かった。醤油さえあれば、大抵のものは美味しく食べられるからね。チキンの胸肉を細切りにしてオリーブ、タマネギで炒めたような料理がなかなか美味しい。マラクジャジュースはパッションフルーツと聞いて期待して飲んでみたが、ちっとも甘くなくむしろまずい。これブラジル人は好きなのかな〜?
12:30にレオナルドが迎えに来る。今日はヘシーフィに隣接する世界遺産の街オリンダを訪れる予定だ。


この日のヘシーフィは朝から断続的な雨。時折強風に煽られるように横殴りの雨が舞うあいにくの天候だ。
車は北へ、昨日訪れたヘシーフィ旧市街を抜け約15分。海に近い小高い丘にオリンダの街がひっそりと佇んでいる。丘を覆い尽くす緑の森の中にオレンジがかった赤茶色の屋根が点在し美しい。
ヘシーフィ同様、最初にポルトガル人が、そしてオランダ人がやってきて教会と街を造った。その後砂糖交易の中心がヘシーフィの良港に移ったため、オリンダはほとんど存在の意味を失った。そのまま時の流れは止まり街は忘れ去られたが、結果として17世紀にタイムスリップできる希少な場所として世界遺産に登録され人気の観光地となった。
オリンダの街の名の由来は、ここを訪れた昔の誰かが、ポルトガル語で「O! Linda! (おー、きれい)」と叫んだことによるらしい。レオナルドの実家はオリンダのすぐ近くらしく、この辺りを案内できるのが楽しくて仕方ない様子だ。僕はどちらかというと今夜の試合が気になって観光に集中できずにいる。時折晴れ間もあるが、すぐに激しい雨。丘の上の教会跡から海を臨むと、灰緑色の大西洋が雨に煙っている。




雨宿りを兼ねて街のカフェに入りしばし休息。レオナルドは外国語に関心が深い。
「日本語は憶えるの難しいんだろ?」「うん、英語ともラテン語系言語とも全く異質だからね。」「でも、友達に聞いたけど、日本人は語尾に『ね?』ってつけるらしいぞ。ブラジル人とおんなじだ。」「ポルトガル語ではどういう状況の時『ね?』ってつけるの?」「正確にはブラジル人しか『ね?』って言わないけど、う〜ん、意味は"Isn't it?"だな。」全く日本と同じじゃないか。
そこからひとしきり日本語の話になった。「日本語では英語のハローはどう言うんだ?」「ん〜…やあ…かな?」でも知らない外人に突然「やあ」と言われても反応難しいな。ちょっと考えたけど適当な言葉が見つからなかったので「日本にはハローにあたる言い方ないな。いっそ英語でハローの方が通じるんじゃない?」「そうかそうか」

ホテルに帰って一人になってから急に思いついた。「どうも〜」がそれじゃないか?関西なら「まいど〜」か?「まいど〜」いいな〜。後で教えてやろう。きっと次にガイドする日本人に受けると思う。(結局教えるの忘れた)

雨はまだ止まない。スタジアムまでの交通渋滞を考えて夕方6時にホテルでピックアップしてもらうことにしてホテルに戻った。その時ビニールの雨ガッパを持ってきてくれるそうだ。


夕方6時。
ホテルロビーには数10人の日本人サポーターが集結している。ツアー会社が複数のツアーグループを束ねてスタジアムまで送迎してくれるのだ。僕も日本代表ユニを着てミニバンに分乗。余ったチケットはレオナルドにプレゼントしたので彼も一緒だ。15キロほど内陸のペルナンブコ・スタジアムへ。
スタジアム周辺には駐車スペースが充分でないため、いったん遠く離れた駐車場で車を降り、専用のシャトルバスに乗換えてスタジアムまで行くシステム。だがバスを降りてからもさらに500mほど歩かねばならない。朝から断続的に降り続く雨の中で大勢の観客が踏みしめて行くため、道はぬかるんでドロドロだ。漸く入門ゲートにたどり着いたところで、帰りの集合場所を皆で確認。チケットは各自が自己責任で独自で入手しているため、これからは自分の席にバラバラに向かう。

僕の席はメインスタンドの最上階。比較的新しいサッカー専用スタジアムで、丁度1年前のコンフェデ杯で、日本がイタリアとスリリングな打ち合いを演じ、3対4の惜敗を喫した舞台だ。上から見下ろすピッチの芝生が美しい。結局自分の席に到着したのは試合開始まで1時間を切った、午後9時10分だった。さあ、いよいよだ。日本の初戦、対コートジボアール。



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「これは俺の知っている1年前のジャポンとは別物だ。残念だったな。」試合後のミーティングポイントで合流した時、レオナルドが開口一番そう言った。
何とも臆病なゲームをやってしまった日本代表。大事な本番でメンタルの弱さを露呈してしまった。開始15分までは慎重に入り、ワンチャンスをものにして本田が先制点を奪ったところまではプラン通りの展開だったと思う。コートジボアールは明らかに日本を過度に警戒していた。日本に先制されるまで敗戦をより恐れていたのは彼らの方だった。

ところが失点して攻撃に出ざるを得なくなったコートジボアールに対して、にわかに日本のリズムは狂い始めた。守る意識が強まったせいか、ボランチの位置は低くなり、ミスパスによるカウンターを恐れて足もとへのパスが増えた。慎重にゲームを進めようという意識が勝ってしまいパススピードは落ちた。前線は早いチェックに行こうとするが後ろからの押し上げが慎重すぎるために中盤が間伸びしてスペースが出来始める。急速に攻撃のリズムを失い、いい形でシュートなで持っていけなくなった日本に対し、コートジボアールは圧力を強め、再三日本の読みやすくなったパスを奪って縦に早いカウンターを仕掛ける。それでも立て続けに放たれたシュートは不思議なほど枠を外れ、何とか前半は1:0で折り返した。
上から見ているとコートジボアールの最終ラインは空きだらけだ。岡崎、香川がフリーランニングでスペースに侵入し、そこにタイミング良く縦パスが通ればシュートチャンスはそこそこ作れそうだったが、打ち合いを怖れるボクサーのように、日本はラッシュして2度目のダウンを奪いに行くよりも、相手のパンチを避けることに奔走した。

後半になっても試合展開は変わらない。コートジボアールに中盤でフリーにボールを持たせると何でもやってくる。チェックを一つ外されるとドリブルでどんどん上がってこられて、守備はズルズルと下げさせられてしまう。苦し紛れのタックルでゴールに近いところでFKを与えてしまう。

日本の後半の失点は、いずれも日本の左サイドからフリーで速いシュート性のセンタリングを入れられ、中でヘッドで合わされることでやられたものだ。1点目はGK川島に防ぐ手立ては無かったが、2点目は止められる可能性はあったと思う。勿論それはあくまで可能性の問題であって、川島のプレーを責めるところまではいかない。

この両失点については、左サイドから余裕を持ってセンタリングを入れさせたことで勝負がほぼついている。従って何故リプレイのように二回も同じパターンでやられたのか、が問題になる。日本の左サイドは長友と香川。香川は攻撃の選手であり、守備に大きな期待は出来ない。逆に彼に守備の負担をかけさせてしまうと、左からの崩しが生命線である日本の攻撃は途端にノッキングしてしまう。
普通4ー2ー3ー1フォーメーションだと、左サイドのあの場所で、フリーにセンタリングを上げさせないためには、香川のポジションがマークに付かなければならない。サイドバックの長友にそこまで上がってマークさせようとすると、左をもっと深くえぐられてはるかに危険な状況を招いてしまうのは目に見えている。しかし前述のようにザックの4-2-3-1では、香川は攻撃的に使うことに意味がある。だからチームの約束事としては、香川が付ききれない場合、ボランチが左に張りだしてあのスペースをマークすることになっていたはずだ。その受け渡しがうまくいかず、立て続けに余裕を持って狙い澄ましたセンタリングをあげさせてしまったのである。

では何故ボランチのマークが遅れたのか?僕はドログバの投入が最大の理由だと思う。1対1ではとても対処の困難な身体能力を持つドログバが真ん中に入ったことで、ボランチとしてはFBと共同でドログバのマークすることに意識が当然いってしまう。だから左サイドをフリーにしてしまったのだ。ドログバは直接得点には絡んでいないが、彼がピッチに入ってきた後、立て続けに2点を失ったのはこういう背景があったからだと思う。

結果論かもしれないが、強力な攻撃陣を擁するコートジボアールを無失点に抑えることはかなり困難なタスクだったと思う。だから2点を取られたことは驚くにあたらない。そうなると、日本が勝利を確実にするには3点を取らねばならなかったことになる。正にそうなのだ。日本は3点が取れなかったがために敗れ去ったのである。

1年前にイタリアと渡り合ったように、日本は打ち合いに徹するべきだった。試合前、スタジアムのほとんどのブラジル人が日本を応援しているように見えた。彼らはあのイタリア戦の日本代表をもう一度観れると期待した。サッカーに目の肥えた多くの地元のファンのそうした熱い期待が、試合の経過とともに色褪せた失望に変わって行く、その一部始終を僕は現地で見た。

何ともつまらないチームになった、と一度ブラジル人に評価された日本の前途は極めて厳しい。もし日本がこのグループを2位で通過できた場合、決勝トーナメントの第一試合は再びここヘシーフィだ。今回勝敗に関わらずブラジル人の心に残るゲームを出来ていれば、その後のゲームでどれだけ強い味方を得られていたか。返す返す惜しい戦いだった。

試合が終わりミーティングポイントに日本人サポが少しずつ集まってくる。皆疲労と落胆の表情は隠せず口数は少ない。全員が集合しバス乗り場まで移動を開始した頃、日付は変わり雨脚は一段と強くなった。足元はぬかるみ疲れ切った身体にはバス乗り場までの500m程が何とも遠く感じられる。
途中の道端でセルジオ越後氏が憮然とした面持ちでTVレポートをやっている。彼の横顔を見ながら、いつもの辛口コメントは少し封印した方がいいんじゃないか、とふと思った。今彼のコメントを自ら傷口に塩を擦るように聞きたい日本人は少ないだろう。敗者に甘いそうした日本人のメンタリティこそ、セルジオ氏が最も嫌いな部分なんだろうけど。

誰かが自嘲気味に叫んだ言葉が空しく雨の夜空に消えていった。
「スペインよりましな結果だ(1:5)。ウルグアイよりまだ上だ(1:3)」


6月15日、
朝9時に目覚める。のろのろとホテルの朝食に出かけると日本人だらけ。皆昨夜が遅くなったので、この時間の朝食になったんだろう。不本意な敗戦の朝。ドヨ〜んとした空気が漂っている。相変わらず怪しい寿司もどきが、ほとんど手をつけられず残されている。僕はタピオカ粉をフライパンで焼いてチーズやハムをはさんだものを目の前で作ってもらった。何と言うのか知らないけどこれ、結構美味い。

今日は夕方、サルバドールへ戻るまで、何もせずゆっくり時間がある。他の大部分の日本サポは、第2戦までの合間の4日間を、リオやイグアスでの観光に当てているらしく、昼前には慌ただしくヘシーフィを出発して行った。今日は昨夜の雨もあがり、熱帯の太陽が眩しい。

ホテルの小さなプール脇のバーで、カフェコンレイチをすすりながら、ボーっとして過ごしている。
ここのバーのウエイターは真面目そうだが、いつもちょっと悲しげな表情をしている。
我々が思っているほどブラジル人は皆誰も陽気で明るく楽天的な訳じゃない。日本人が皆勤勉で真面目で堅物ばっかりじゃないように。
そう言えば昔、南米に出張してきたときに、日系商社のヴェネズエラ人から聞いた話を急に思い出した。彼が言うには「めったにお目にかかれないタイプの人たちがいる。例えば、謙虚なアルゼンチン人(だいたいは傲慢な人たちだ、という他国の評判)、ネアカなコロンビア人(彼らはラテン系なのに結構クライらしい)、そして、うつ病のブラジル人….」


夕方サルバドールへ戻る便のために、レオナルドが空港まで送ってくれた。
「どうだった?ヘシーフィ」「ああ、いいとこだ。今日みたいにお天気の日にまたゆっくりオリンダへ行きたいね。」「是非そうしてよ。これからサルバドールだよね。あそこもいいとこだ。バイアーノ(サルバドールのあるバイア州の人達)は世界一楽天的で幸せな連中だからね。」本心とも皮肉とも取れる言い方だ。
彼は今日からしばらく忙しい。この後ヘシーフィで試合をするイタリア、米国、ドイツからのツアー客が立て続けに大挙して到着するのだ。
ワールドカップのような巨大イベントは、世界中のいろんな民族をサラダボールへ入れてかき混ぜるようなものらしい。4年と言わず毎年でも開催すれば、もっと民族や国家の壁は薄く低くなっていくんじゃないか?これほど色んな国民が直接触れ合う機会を与えてくれるイベントは、他にそうそうあるもんじゃない。
空港でサヨナラを言ってレオナルドと別れた。


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また戻ってきたサルバドールのぼろホテル。ベルボーイが顔を覚えてて、「ボア・ノイチ、タンベン・ベム・フィンド (今晩は、ようこそ、まただね)」と笑顔で部屋へ案内してくれる。相変わらずゴーゴーと音を立てるエアコン、お湯の出ないシャワー、便座がラバークッションのトイレ。


6月16日
今日も快晴。今日は日本出発前に予約しておいた一日ビーチツアー。行き先はPraia de Forte(プライア・ジ・フォルチ、直訳すると、砦海岸)。何があるのか全く知らない。地球の歩き方にも紹介していない。
朝8時半にホテルにバスが迎えにきた。60人乗りの大型バスにガイドのおばさんが1人。僕の泊まっているホテルからの参加は僕だけ。。。聞けば途中で3つのホテルを回ってツアー参加客を拾って行くとのことだけど、結局お客は僕をいれて6人だけ。僕を除いては皆チリからヴァケーションでブラジルにやってきたおばちゃま達と、その娘らしき女の子達。誰も英語しゃべらない。
さあ困った。その中の一人のおばちゃんだけが、昔日本に居たことがある、ということで片言の日本語で話しかけてきた。こちらの片言のスペイン語と合わせて何とかコミュニケート。皆、ご主人と息子達はワールドカップのチリ代表の試合に夢中とかで、興味のない母娘でこのツアーに参加したのだとか。どこの国でも似たようなもんだ。

バスは1時間半ほど、海岸沿いに北へ。目指すビーチについた。来るまで何にも事前知識が無かったのだが、ここは世界的にも希少な、たくさんの種類の海亀の産卵地なのだそうである。
彼らは生活環境の変化によりずっとその数を減らしてきているが、すでに30年以上も前から彼らを絶滅の危機から救うための保護が必要となっている。ここプライア・ジ・フォルチにはブラジル政府肝入りで海亀の保護繁殖支援のためのプロジェクトとして、ビーチに面して海亀水族館が作られているのだ。
ブラジルでは結構有名な観光スポットらしく、この日も多くの家族連れで賑わっていた。さすがに、世界中どこでも見かける中国人も日本人も韓国人もここでは全く見かけない。





幸い今日は快晴で海風が気持ちいい。大西洋は透き通るようなエメラルド色に輝いている。 少なくともここだけはワールドカップの喧騒とは無縁。 貧困や犯罪など、ブラジル社会の抱える病巣さえ忘れてしまいそうな平和な世界である。一通り海亀を見終わったあと、波打ち際にあつらえたデッキチェアに腰掛けて海を眺める。パラソルの下でも光がそこら中で弾け、少し赤っぽい砂浜が眩しい。お兄ちゃんが背後から話しかけてきた。「ベビーダス?(飲み物は?)」「ウナ・セルベージャ・ポル・ファボール」。良く冷えたビールが身体中に沁み渡る。ずいぶん遠くまで来た。




この日、サルバドールではドイツがポルトガルを4:0で粉砕した。ツアーを終えて戻ると、街はドイツの応援団に占領されていた。


6月17日早朝、
サルバドールからブラジリアを経由してナタールへ向かう。
今回もやっぱり5キロオーバーの荷物は預けろと言われて、相当抵抗したがダメだった。どういう訳かサルバドールから乗る時だけ引っかかる。機内に乗り込んでみると、さっきのお姉さんが割り当てた僕の座席はキャビンの最後部で、背もたれをリクライニングも出来ない席。「やられた…」こういう意地悪なしっぺ返しをこの国の女性はやるんだなあ。諦めは早い性格なので大人しく席につく。
TAMの機内ではまた袋入りのオヤツが出た。チョコレートの一口ケーキとクリームチーズ、クラッカーがセットになっている。どの路線でもこれが出てくる。TAMが国内で飛ばしている飛行機はもの凄い数だと思うが、その全てでこの袋入りオヤツをポイポイ配ってるとしたら、一体一日で何袋消費されるんだろう。まあ不味くはないから文句は言わないけどね。




あと少しでブラジリアに降りる機内アナウンスがあった。乗り換えだけだから街が見られる訳じゃないけど、ブラジリアという場所そのものにはちょっとした感慨がある。
小学校だったか中学校だったか、社会科の教科書にブラジリアの街の写真が載っていて、それがすごく印象的だったのだ。まるで宇宙都市のような不思議なデザインの建物が建ち並ぶ街。資源大国として急激に発展するブラジルの未来を象徴する新しい首都。ナタールへと離陸した飛行機の窓から少しでもあの街並みが見えないものかと目を凝らしたが、赤茶けた高原地帯が遙かに広がっているだけだった。


ナタールに午後1時半に着いた。ブラジル人の発音ではナタールではなく、ナタウだ。語尾の「L」は、「ウ」と発音するらしい。そう言えばブラジル人はブラジウと言ってるな。
ナタウは快晴、かなり暑い。4日前のナタウでの試合が大雨だったのでちょっと心配だったが、そもそもナタウは1年300日以上が晴れの街だそうだ。日本戦はたぶん晴れる。


今回もツアー会社のガイドが待っていてくれた。アリーンという名の40歳くらいの女性である。ホテルまで連れて行ってくれる運転手も女性(名前は忘れた)で、2人ともそれほど英語は上手じゃない。英語にうろ覚えの怪しげなポルトガル語を交えながら、ホテルまで1時間半のドライブ。新しく開設されたナタウ空港はずいぶん辺鄙な場所で、市街地まで結構遠いんだそうだ。

まるでラグーンのように馬鹿でかい川幅のポテンギ川を渡り、ナタウの市街へ。ヘシーフィやサルバドールのように大きな街ではないが、その分治安はずっといいのだそう。
市街を抜けると美しいビーチに沿った海岸通りへ。ポンタ・ネグラ(英語でブラック・ポイント)海岸に面した目指すホテルに着いた。こじんまりとしたリゾートホテルの雰囲気で、これまでで一番感じのいい観光客向けのホテルである。

ナタウのホテルDivi Divi



アリーンとはいったんここで別れ、2日後のギリシア戦の時にスタジアムまで送ってもらうことになっている。「そんじゃ2日後の、え〜と….クアルタ・フェイラね?」「ノー!キンタ・フェイラよ、間違えないで」
ポルトガル語では、曜日を表すのに、月曜日の、2番目、セグンダ・フェイラから始まり、トレイザ(3番目)、クアルタ(4番目)、キンタ(5番目)、セスタ(6番目)と金曜日まで続き、土曜日のサバド、日曜日のドミンゴは、スペイン語と共通だ。

このホテルは部屋も小ぎれいで広くて快適。まずはシャワーでも浴びてどこかへ夕食を食べに行くか。う〜む、こんないいホテルなのにやっぱりお湯が出ない。これブラジルじゃ普通なのか?じゃぶじゃぶとお湯が自由に使える日本の風呂の有難さが身に染みる。
だけどこのホテルにはシャンプーがちゃんと付いていて助かった。サルバドールもヘシーフィも、ホテルには小さな石鹸が2個置いてあるだけだったのだ。昔、日本にもあった洗濯石鹸のような硬くて粉っぽい懐かしいやつ。しかしこの石鹸、水のせいか泡立ちが良くないし、頭を洗うと気のせいか、激しく頭髪が抜ける気がする。昔と違って髪は貴重なのだ。しかも乾くとふけが半端ないくらい出て困っていたのだ。一週間ぶりにシャンプーで髪が洗えて爽快。

ホテルの場所はビーチリゾートだから周りにレストランいっぱいあるよ、とアリーンに聞いていたので、散歩がてらちょっと早い夕食に出かけた。しかし何故だ?どこも閉まっている。突然重大なことに気付いた。今日は夕方からブラジルの第2戦が行われるんだった。慌てて時刻を確認。試合開始の午後4時まであと5分。お店が開いているわけない〜。
とにかく部屋に戻って試合を見ることにした。食事は試合が終わってからにしよう。


フォルタレーザでのブラジル対メキシコ。スリリングな削り合いのゲームは結局スコアレスドロー。メキシコのGKオチョアがこの試合のMVPで間違いなし。入ってもしょうがないシュートを少なくとも3回は防いだ。それにしても切れ味鋭いカウンターで、ホストカントリーのブラジルをここまで脅かしたメキシコの戦いは見事に尽きる。ブラジルの凄まじいプレッシャーにも決して怖がらずに攻撃の姿勢を貫いたメキシコの戦い方を見るにつけ、日本の初戦のひ弱さを思い出してしまった。
ブラジルが引き分けたことで、ナタウの夜は拍子抜けしたように静かだ。

外へ出ていくのがちょっと億劫になったので、ホテルで軽い食事を摂るだけにした。
夜7時からは韓国対ロシア戦。ベッドに転がってTVを観ているうちに、時差と満腹感からか、韓国には悪いが、そのまま眠り込んでしまった。眼が覚めたらちょうど試合終了1:1のドロー。


6月18日
ナタウ郊外、ポンタ・ネグラ海岸沿い小さなホテルに居る。今日は何も予定を入れていない。さてどうするか、この日も朝から快晴。暑くなりそうだ。
時差のせいで早起きしてしまうが、まだホテルの朝ごはんはオープンしていない。部屋を出て4階のベランダで海を眺めながら食事の準備を待つことにする。
海岸線が大きくカーブした先に巨大な砂丘が緑の森を断ち切るように白く輝いている。ホテルのフロントに置いてあった観光パンフに写真の出ていた有名な砂丘があれらしい。遠くからだとすぐにはそのサイズがよく分からないが、近くにかすかに見える波打ち際の家の大きさから比較すると、かなりの大きさだ。海岸線から立ち上がるように少なくとも100m以上は盛り上がっている。砂丘の両側が緑に覆われた山なのでそのコントラストが目に映える。パンフには、カレカ・ド・モホと書かれている。モホはどういう意味か分からないが、カレカはサッカーファンなら聞いたことのある名前だ。
元ブラジル代表の点取り屋、Jリーグでも柏で活躍したあのカレカである。カレカはニックネームで、確か「ハゲ頭」という意味だった。カレカ本人は全然禿げてなかったので(今はどうなのか知らないが)不思議に思って意味を記憶していたのだ。なるほどそうやって改めて砂丘を眺めると、こんもりとした緑の山が人の頭に見えないことはない。砂丘がハゲの部分なのか。




ベランダで偶然、ヘシーフィの日本戦で見かけた日本人男性に出くわした。
「またお会いしましたね、お一人ですか?」「ええ、生まれて始めての海外旅行がこのワールドカップツアーですわ。」驚いた。始めての海外がいきなりこんなブラジルでもディープな場所とは…
朝食を共にしながら話し込んだ。サッカーにハマったきっかけ、今回一念発起してブラジルまでやってきたきっかけ。大阪に住むというE氏は僕より3歳年上だが、今でも少年サッカーの審判を勤めるというサッカーおじさんだ。ワールドカップの魅力がもたらしてくれた一期一会。

E氏も今日は予定がないんだそうだ。「どこか行きますか?」「何やら世界一のカシューナッツの木というのに昨日、同じツアーの人が見に行ってきたらしいんですが」「それってここから近いんですか?」「タクシーで行く距離らしいんですわ」そんならお互いヒマなんで一緒に行って見ましょうということになった。
タクシーを呼んでもらい値段交渉。当然英語は通じない。行き先のカシューナッツさえ通じない(カジュエロというんだそうだ)。片言のポルトガル語で、一人当たりR$50から60くらいだ、と言ってることをようやく確認。往復で約3000円くらいだ。まあこんなもんか、とE氏もOKして出発。
片道車で約30分で目指すカシューナッツの木に着いた。結構な観光名所らしく、たくさんの人出だ。世界一大きなカシューナッツということだが、そもそもカシューナッツの木なんて見たことない。入場料金を取られるのだが2人とも60才以上で半額割引。喜ぶべきか悲しむべきか…

入場してすぐ目の前に、高さ3mくらいの曲がりくねった枝ぶりの灌木が一面に広がっている。幅で約100m,奥行きも同じくらいか。ひょっとしてこれがカシューナッツ??だけどどうしてこれが世界最大??普通のカシューナッツの林じゃないの??説明を聞いて驚いた。何と林だと思ったのが、全部一本の木なんだそうである。枝はクネクネとネジくれながらいったん地面に降りて地中にもぐり、そこからまた空に向かって伸びるをくりかえして、こんな姿になるんだそうだ。そうやって改めて眺めてみれば、なるほどこれは立派な観光資源だな〜。




帰る途中で、少し大回りしてこの辺りのビーチでも見たいとドライバーにリクエスト。彼は大きく頷くと小高い丘のビューポイントに車を停めた。夢の中に出てくるような美しいビーチが眼下に拡がっていた。





ホテルに戻って少し自分の部屋で休む。お昼を少し過ぎているが、朝たくさん食べたのでお腹は空いていない。時差があるので毎日この時間になると無性に眠くなるのだ。
ウツラウツラしながら、今見てきた白昼夢のような景色とヘシーフィの貧民街の景色を重ね合わせている。どちらも現実のブラジル。

少しうたた寝していたようだ。一瞬自分が何処にいるのか分からなくなる感覚。ああそうだ。今ブラジルにいるんだ。目覚めてからTVをつける。ブラジルだからか、それとも丁度ワールドカップの期間だからか、TVのCMがやたらサッカー絡みである。ペレなんかいったい幾つのCMに出てるんだろう?と思うくらい頻繁に登場する。ちなみに僕の一番気に入ったCMはこういう奴だ(結局何のCMかは覚えてないんだけど)。
汚い裏町の道路上で貧しい子供達がサッカーをしている。ただそれだけなのだが、そのプレーを見て僕らはハッと気づく。ペレのシャペウ(浮き球で相手の背後にボールを持ち出しそのままボレーシュート)、味方の壁がワザと避けたその隙間を通したリベリーノのFK、右バックから猛然と上がったカルロス・アルベルトが、ペレからの優しいパスを直接叩き込んだ70年決勝のだめ押しゴール。かつてのワールドカップでのブラジルの伝説のゴールを、当時生まれてもいなかった裸足の子供達がそのまま演じて見せるのだ。ブラジルのかつての栄光をこの今は貧しい子供達がまた近い将来継承してくれるだろう。そんなメッセージを強く見るものに訴えかける心に染み入るCMだ。

TVでオランダ対オーストラリアが始まった。どこから見てもこの組ではアンダードッグであるオーストラリアが優勝候補の一角オランダを相手に大立ち回り。あわやというところまでオランダを追い詰めて、最後は刀折れ矢尽きた感じで華々しく散った。オーストラリアはオーストラリアのサッカーを見せた。日本は世界に日本のサッカーを見せられるだろうか。ギリシア戦はいよいよ明日。

夕方から、同じホテルに宿泊する日本人グループと一緒に食事をし、明日の健闘を誓い合って飲んだくれた。初戦にも見かけたサムライ姿の関西青年I氏、群馬からやって来たサッカー父子鷹を絵に描いたような父親とその息子さん、そして前述のE氏がメンバーである。皆サッカーへの思いが熱い。日本代表の戦術批評が延々と続く。食事の後ホテルへ戻って、中庭でビールを飲みながらサッカー談義は終わらない。
そこへドヤドヤと10人程の外人団体がやって来て隣に陣取った。お互いに酔っぱらっているから打ち解けるのは早い。聞けばフランス人で、明日の日本戦を観る予定とのこと。言葉の壁もものかは、あっという間に「ニッポン、チャチャチャ」の大合唱に。サムライI氏が日本で用意してきた大量の必勝ハチマキがフランス人達に配られ、エールは続く。





明日の対ギリシア戦のTV中継で、国籍不明の怪しい日本サポがハチマキ締めて団体で映っていたら、それは彼らだ。


6月19日
ギリシア戦の朝。明け方からダーっと雨が降っては急に陽が照っての繰り返し。今日はピッチが蒸し暑そうだ。
昨日はスペインがチリに為すところ無く膝を屈し、前回チャンピオンが早くもグループリーグ敗退という大事件があった。ワールドカップ連覇というのは本当に難しいのだな、と改めて思う。
日本戦の前に今日は同じグループのもうひと試合、コロンビア対コートジボアールが13時から行われる。日本のグループリーグ突破可能性に大きく影響を与える一戦だけに見逃せない。ホテルの中庭のバーで、皆んなでTVを囲む。
昨夜、一緒に飲んだくれたフランス人がまたもやドヤドヤと入って来た。僕らはよっぽど気に入られたらしい。マルセイユ産のパスティスという強い酒を持ってきて、僕らに飲め飲めと勧める。アニスの入った、水で割ると白濁する、ギリシアのウゾみたいな酒だ。一緒のホテルに宿泊しているギリシアサポも2人、このインターナショナル酒飲み大会に参加した。





もう目の前の大型TVではコロンビア対コートジボアールがキックオフされたが、皆そっちのけで乾杯を繰り返す。再び「ニッポン、チャチャチャ」の大合唱。いつの間にかウエイターの兄ちゃんまでハチマキ締めて合唱している。ギリシアサポは居心地悪いだろうな〜、とちょっと気になったが、「しょうがないなー、こいつら」という表情でニコニコして聞いている。

群馬の父子鷹のお父さんが、日本から持参の食料品を開け始めた。サバの味噌缶、キューリのキューちゃん、カップ焼きそば。フランス人とギリシア人に、食え食えと勧める。ギリシア人は恐る恐る一口二口で止めるが、そこはガストロノミアのフランス人、皆んなで争ってたべては、美味い美味いを繰り返す。 そのうちなんだか分からないくらい酔っぱらって、とうとう「ラ・マルセイエーズ」の大合唱が始まった。ありゃ〜、この後は必ず「君が代、歌え〜」になるなー。予想通り、日本人全員が立ち上がって、ヤケクソのような君が代をがなりたてる。「ギリシアも行け〜っ」日仏連合で煽るが、「イヤー、俺たち2人だけだし〜」とか言って逃げまくった。
そのうちに午後3時、そろそろスタジアムに向かう仕度をせねばならない。僕は応援に差し支えるのであまり飲まないようにしていたが、まだ若い父子鷹の息子さんの方は、無理酒の集中砲火を浴びて、完熟トマトみたいに真っ赤な顔でフーフー言っている。


午後3時半、ホテルからスタジアムへ向かう。分けてもらったハチマキを締めて。
ここナタウのスタジアムArena das Dunasは、ヘシーフィと違って街中のため極めてアクセスがいい。パーキングに車を停めスタジアムまで500mほどの距離を歩く。案内のガイドと試合後の待ち合わせ場所を確認し、健闘を誓って別れる。余ったチケットは彼女とその友達にあげたのだ。
思ったよりスタジアムへの入場が早かったせいか、自分の席まで全く混乱なく辿り着いた。まだ観客も疎らな席に着き、ピッチを見渡す。この日の対戦両国のチームカラーを表すかのように青色系のグラデーションで統一された観客席がとてもきれいだ。試合が開始されれば、両チームのサポーターによってこのスタジアムは青に染まるだろう。


ここまでくるのにどれだけ苦労したか・・・


チケットの入手から旅行の手配、思えばここへ来るために半年かけたプロジェクトが漸く今日完結する。そう思えば、まだ試合開始まで2時間以上あるが、待つのは全く苦にならない。だってもう何もしなくても、ただここに座っているだけで、僕の目の前で試合は始まるのだから。
この日のナタウは湿度が高く、蒸し蒸しとした空気が身体に絡みつく。この天気は日本にとって有利なのかどうか?雲が低く流れていく。試合中にシャワーがあるかもしれない。


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不完全燃焼のゲーム。日本は防戦一方のギリシアを相手に、試合を通じて圧倒的なボール保持率を記録しながら、ついに1点が獲れなかった。
僕は試合前からの予想として、勝っても負けてもこの試合は1:0と思っていた。
中央の堅いギリシアのDFを打ち破るのは容易ではない。ただしギリシアにはこれといった攻撃の武器はなく、速攻カウンターからか、セットプレーからのヘッド一発くらいしか怖くないと考えていた。従って問題は日本が1点をもぎ取れるかどうかだ。間違いなく最少得点の僅差のゲームになるだろう。試合展開の予想はあたったが不幸にして結果は悪い方に出た。

前半に警告2枚でギリシアのキープレイヤー、カツラニスを退場で失ったギリシアは、露骨な引き分け狙いに徹したようだった。ノロノロとボールを扱うGK。やたら倒れては痛がる素振りのフィールドプレイヤー。時間稼ぎによる引き分け、うまくいけばカウンターで1点を。ギリシアはその戦術を全員が愚直なまでに実行した。
一方で日本の自信なさげな攻撃は相変わらず第一戦の時のまま。無駄にボールを横に動かし、攻めが遅くパスは足元から足元へ。中央を固めるギリシアに対し、両翼にボールを散らして何とか中のマークを薄くしようと試みるが、攻撃をほぼ諦めたギリシアには迷いはない。攻撃陣も自陣に戻って献身的にサイドのチェックを欠かさない。それでもサイドの内田・長友は立て続けにセンタリングを上げるが、屈強なギリシアのセンターバックにことごとく跳ね返される。低く速いセンタリングをニアで合わせればと思うのだが、べた引きで待ち構えるギリシアは、日本の飛び込むスペースを与えてくれない。

このこう着状態のイライラ感といったら。。。
上から見ていると、攻撃時の連動した動きが乏しいため、中央をダイレクトパスで崩すパターンがほとんど繰り出せない。まるで今日初めて集まった、にわかチームメンバーで試合をしているみたいだ。今までの膨大なチーム作りの時間に、いったいどんな攻撃パターンを身に付けてきたのだろう。この大事な本番でそれが出せないのであれば、何もしてこなかったのと同じじゃないか。
最後はFB吉田を前線に上げてボールを放り込む展開。この終了間際のパワープレーは、第一戦での終盤でもやっていたが、もしこれをやるのだったら、何故今回のメンバーから、豊田やトゥーリオを外したのか?ほとんど使う気のない清武、斎藤を選んだ意味は何だったのか?とにかく結果だけ見ればザックのチーム作りはここまでのところ大失敗ということになる。


試合を通じ全く攻める気のないギリシアと、変化のないリズムで単調な攻撃を繰り返す日本とのこのゲームは、エンターテインメントとしてスタジアムに足を運んだブラジル人にとっては、恐ろしく退屈な試合だったろう。目の肥えたブラジル人にとってはチケット代を無駄にしたという思いだけが残り、試合の内容については微塵も記憶に残らなかったに違いない。
こうして日本のサッカーが世界を驚かせることなく、あまたある世界の中位国として日本の印象はかすみ、また4年後の舞台までチャンスがないとしたら、それはとても悔しいことだ。

僕はもう次のコロンビア戦を現地で観ることはできないが、是非第3戦が、勝っても負けても世界の多くのサッカーファンに、「いい試合だった」と評価されるような、そういう戦いにしてほしいと思う。ワールドカップが終われば、監督を含めてメンバーは大きく一新される。今のこのチームが、その実力を出し切った時に何ができたチームだったのかを、是非最後の最後で僕たちに、いや自分たちに示してほしいと切に願う。

試合後の集合場所に向かう。
5日前のヘシーフィでは、逆転負けのショックが雨粒のひとつひとつとなって背中を叩くような、冷たくつらい雨だった。この日も試合後スタジアムを出るときは雨。攻めきれず1点が奪えなかった悔悟がゆっくりと両肩に染みていくような、音も立てずに降りてくる霧雨だった。


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沈んだ気分でホテルにいったん戻り、シャワーを浴びて日本への帰り支度を始める。
今回の旅は楽しいことばかりだったが、肝心の日本代表の試合が2試合とも消化不良で終わったのだけが心残りだ。
深夜の1時にガイドのアリーンとドライバーのおっちゃんが迎えに来てくれた。空港まで約1時間のドライブ。ナタウに着いた時と違って、車中ではほとんど会話がなかった。アリーンも疲れているし、僕も敗戦に等しいドローの直後だし、進んで話す気分にならない。

これから日本まで2日以上かけて長い長い距離を帰らなければならない。
20年ぶりのブラジルだったけど、今回やってきて本当に良かったと思う。サッカーとボサノバが大好きな僕にとっては、やっぱりこの国は底知れない魅力にあふれた国だ。
出発前に治安の悪さやワールドカップ開催準備の遅れなどメディアから溢れるような警告が発信されていた。確かに一面事実だし、そういう意識を持って行動することは大事だ。
だけど実際に来てみたブラジルは、これまでに行ったことのある世界の他の国と比べて、安全面で特段危険だという感覚はほとんどなかった。

ブラジルについて色んなことを思い出す。
「ブラジル国旗の真ん中には黄色いダイヤモンドの中に青い天球儀が描かれてますよね?その天球儀に帯が巻かれていて、ポルトガル語で「ORDEM E PROGRESSO(秩序と進歩)」と書かれてるんですが、あの帯はぐるっと裏側まで巻かれてます。裏には何て書いてあるか知ってますか?」30年近く前、初めてブラジルへ仕事の都合で出張した時、お世話になった現地日系人のローカルスタッフに、こう聞かれたのだ。想像もつかない。
「『秩序と進歩』に続けて、『・・・だけが、欠けている』と書かれてるんですよ。」そう言って彼はくくくっと笑った。確かに当時のブラジルはハイパーインフレの進行により国家が破産状態。ブラジルに「秩序と進歩」を望むのは無いものねだりのような状況だったのだ。僕も一緒に笑うしかなかった。あれから30年経った。

僕は今回、以前訪れたことのあるリオ、サンパウロは通り過ぎるだけ。生まれて初めての北東部3州(バイア、ペルナンブコ、ヒオグランジドノルチ)だけの旅だったので、30年前と比べてどのくらいブラジルが変わったのかを経験で語ることはできない。ただ、今回訪れた場所で会って話したブラジルの人たちの自信にあふれた言葉や表情、街にはこの10年以内に建てられたと思われる、真新しいビルや社会インフラが目立つことなどからも、確実にブラジルが変わってきていることは感じられる。
この国ではまだ人々が、明日はもっと良くなると信じて人生を送っているようだ。それは幸せなことだと思う。


「そろそろ空港よ」アリーンの声でふと我に返った。少しうとうとしていたようだ。
まだ夜中の2時過ぎなので真っ暗である。
これからの帰路を考えて、僕はひとつ気がかりなことがあった。それはサルバドールで二度引っかかったように、手荷物を預けろ、と言われる可能性だ。帰途のフライトは、何しろ飛行機を5つ乗り継がねばならない。ナタウからフォルタレーザ、サルバドール、サンパウロ、フランクフルト、そして成田へ。荷物をチェックインしてしまうと、途中で行方不明になるリスクはかなりあるように思える。ここまでブラジル国内線の遅れには出くわしてないが、このままスムースに行くとも思えない。

一度飛行機が遅延したら、僕の荷物はどこへ持って行かれるか判ったもんじゃない。 空港に着いたところで一計を案じた。
重そうなものを中心に、洗濯物を入れておいたプラスティックのショッピングバッグに移し替える。その袋をカウンターから少し離れたところでアリーンに持たせておく。僕一人で軽くなった旅行バッグを持ってカウンターへ行く。重さを計られても5キロ以下になっているはずだ。アリーンも快く協力してくれた。
TAMのカウンターで乗り継ぎのEチケットコピーを見せ、サンパウロまでの国内便をまとめて発券をお願いした。「OK、バッグはひとつ?機内持ち込みしたいの?じゃ重さ計らせてね。ん〜、5キロ以下だから大丈夫よ」やった。作戦成功。ところが意外な落とし穴が…..
「え〜と、サルバドールから先は、日本でネットで買ったチケットよね。悪いけどここではサルバドールまでしか発券できないの。サルバドールに着いたら、いったん外へ出て、もう一度チェックインし直して頂戴。」って….それはマズイ….
サルバドールにはアリーンのような共犯者はいないし……マネージャーも呼んでさんざん粘ったが、やっぱり駄目だった。覚えたての単語の「ミゼリコルジーア・ポル・ファボール」も効かなかった。ブラジル人は皆、ギャハハハと笑ってはくれたけど。
ということで、アリーンにサヨナラを言って、セキュリティをくぐりターミナルの中へ。


まだ朝の3時前だが、試合後の夕食をパスしていたので、少しお腹が空いてきた。ターミナルの中のカフェで、ポンジケージョとカフェコンレイチの朝ごはん。もうワンパターンである。





周囲は、これからブラジルを周る、あるいは帰国の途に就く日本人で溢れかえっている。
突然背後から「セルジオさん、セルジオさん」と呼ぶ声がする。振り向くと、おー、ナマのセルジオ越後氏。また会ったか。サッカー番組で見慣れた顔のテレビ朝日(だったかな?)のアナウンサーも一緒だ。お、横に元日本代表、名波選手もいるじゃないか。
「都並さ〜ん」誰かが呼ぶ方向に顔を向けると、やはり元代表の都並選手が歩いてくる。彼は日テレ系の仕事らしい。NHKの解説者、元オリンピック代表監督の山本昌邦氏の顔もある。
何だ何だサッカーマスコミ関係者勢ぞろいじゃないの。ま、夕べナタウで日本代表の試合だったんだから、考えたら当たり前か。それじゃ松木さんもいるんじゃ?….
と思ったら、何と僕の隣で日本のファンとの写真撮影に応じていた。意を決してこちらからお願いしてみる。「松木さん、ご一緒に写真よろしいですか?」「あ、いいですよ、どうぞ」という訳で元日本代表松木安太郎選手とのツーショットゲット。





少し気持ちが明るくなった。
おまけと言ってはご本人に失礼になるが、フォルタレーザまでのフライトで一緒だったFIFA専務理事、小倉純二氏とも飛行機を降りたところで少し話ができた。「昨日のギリシア戦、返す返すも残念だったですね〜」「そうですね〜、勝てた試合だったし、勝たなくちゃいけなかったですね〜」

フォルタレーザからサルバドールに到着。
さてドキドキしながら再度チェックイン。過去2回とも引っかかっているサルバドールのTAMのカウンターだ。おそるおそる「あの…機内持ち込みできる?」..... 何と今回は重さを計りもせず、僕のバッグを一瞥しただけで「OK」
ルールはあっても、全ては担当者の気分次第なんだね、この国は。

レアルの現金が残っているが、どうせ円に戻すととんでもない換算レートで大損する。 できるだけ使い切って行く方がいい。ミュージックショップでボサノバ・インストゥルメンタル5枚組のCDを買う。家族や会社へのお土産はサンパウロに着いてからにしよう。

サンパウロまでしっかり定刻通り到着した。ブラジル国内便には都合8回乗ったが、どれも遅れることなく順調な運航だった。これって画期的じゃないか?昔の遅れるのが当たり前だったブラジル国内の航空事情は大きく変わったようだ。
まるで双六のような今回の僕の旅程も、一度も「一回休み」なしに無事に「あがり」まで漕ぎ着けられそうである。

ブラジル国内便は機体から一歩踏み出すといつもピッチ


6月20日、夕闇に包まれたサンパウロ空港からルフトハンザでブラジルを発つ。
終わってみればあっという間の10日間。サッカー王国ブラジルで直にワールドカップの熱気に触れ、日本代表の戦いぶりを見届けたことは、僕の人生のかけがえのない財産だ。
「チャウ・ブラジウ」
ブラジルは僕にとって再び遙かな場所になった。

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